WEB本の雑誌>【本のはなし】作家の読書道>第5回:北方 謙三さん
「WEB本の雑誌」の自称注目コーナー「作家の読書道」第五回目に登場するのは近著「水滸伝」シリーズがベストセラーの北方謙三さん。
我々「WEB本の雑誌」編集部員は、北方さんを第2の住まい?都内某ホテルに訪ねました。そこでは、ハードボイルドな小説の世界とはまた一味違う、”じょう舌”な北方さんとの本の話が繰り広げられて・・・。
(プロフィール)
昭和22年10月26日 佐賀県唐津市に生まれ、A型。
中央大学法学部法律学科を昭和48年3月に卒業。
昭和56年『弔鐘はるかなり』を集英社より出し肉体を中心にした新しいハ−ドボイルド小説を目指す。
昭和58年『眠りなき夜』(集英社)で第一回日本冒険小説協会大賞、第四回吉川英治文学新人賞を受賞する。
また59年には『檻』(集英社)が第二回冒険小説協会大賞を60年に『渇きの街』(集英社)が日本推理作家協会賞『過去・リメンバー』(角川書店)で角川小説賞を受賞。
平成元年 南北朝期九州を舞台にした『武王の門』(新潮社)を著し歴史小説の分野へと挑む。
平成3年 歴史小説の第二作『破軍の星』(集英社)で柴田錬三郎賞を受賞する。
平成13年5月現在で134作出版 最新刊は『水滸伝四 道蛇の章』(集英社)
趣味は車の運転。現在、マセラッティシャマル,マセラッティスパイダーを気分によって乗りわけている。アメリカ・スペイン・モロッコ・西アフリカなども車で旅行し『疾走の夏』など旅行記として発表している。
写真撮影にも凝っており、海外取材のおりにはカメラを手放さない。
また、仕事の合間には海をクルージングしひたすら大物を釣り上げることを目指している。
―― まず、いちばん最近、読んだ本について教えてください。
北方 : 歴史小説の資料だね。ここ10年、そればっかり。5冊読んで、実際、小説に生かすことができるのは2行だったりするし、おもしろくないねぇ(笑)。
―― そう言えば、集英社から「水滸伝」の4巻目が出たばかりですね。
北方 : そう、これはまだまだ続くからね。20巻、もっと行きそうだ。資料も読みつづけないと。毎朝11時半に起きるだろ、それで1時から資料を読み始める。毎日、毎日、いろんな原稿の締め切りがあるから、その日、その日で読む時間は変わってくる。長い日だと、6時ぐらいまで。短いと本当に10分ってこともある。
―― 当分、読書と言えば、禁欲的ともいえる資料読みという時代が続く……。
北方 : 資料だけじゃないんだよ。文学賞の候補作っていうのもある。直木賞も含めて、今、3つの既成作家の文学賞の選考委員をやってるから。自分が読みたいという理由で読んでるわけではないんだけど、絶対に読み飛ばすことができないもんな。禁欲的というか、読書の喜びは奪われた状態だよ。歴史小説の資料や文学賞の候補作が生活に入り込んでくる前は、翻訳ものを好きでよく読んでたし。その前はあらゆるものを読んでた。まさに乱読。だから、けっこう本は読んでたほうだと思うよ。今、書庫にはどれだけの本があるのかわからないぐらいだし。
―― 今、本屋に行く頻度はどれぐらいなんですか? お話を聞いていると、ブラッと行くなんてことはなさそうな気もしますが。
北方 : 自分の本が出たとき、サイン会に行く程度だね(笑)。地方の本屋さんも含めて、そこで自分の本がどんなふうに並んでるか見たり。デビューしたての頃はさ、わざわざ本屋に見に行って、誰かが手に取ってくれてたら「頼むから買ってくれ」と祈らんばかりだったのに……。
―― 乱読タイプだったとのことですが、最初の読書体験というのはどういうものだったのでしょうか?
北方 : 本ってさ、大人になってから読もうと思っても無理だよな。子供の頃から読んでないと。そういう意味で俺の最初の読書は10歳ぐらいかな。字が読めるようになって、本も読めるようになった頃。当時は九州に住んでたんだけど、親父が外国船の船乗りだったから横浜に船が入ると会いに行ったりしててさ。野沢屋っていうデパートに有隣堂が入ってて、そこに連れて行かれて「何でも好きな本を選べ」というわけ。「スイスのロビンソン」とか、「アルプスの少女」とか、「三銃士」や「岩窟王」だね、今でもよく覚えているのは。本選びが終わると、中華街に飯食いに行くんだよ。
【有隣堂】 思い出の地は姿を変え・・・関内@神奈川県横浜市
―― 有隣堂が北方さんの読書の原点だったんですね。しかし「アルプスの少女」とは。
北方 : 何だよ、らしくないってのか?(笑) しかし、「スイスのロビンソン」は椎名誠がおもしろそうだからって探してたぞ。
―― 書庫を探したら、見つかるのでは?
北方 : あるかもしれないけど、わからないな。自分で整理してないのが悪いんだけどさ(笑)。
【時尾書房】 もう一つの思い出の地は変わらぬ佇まい・・・麻布台@東京都港区
―― 書庫にあるもので、ご自分で把握されている本というと……?
北方 : 懐かしい本がいっぱいあるよ。たとえば、コリン・ウイルソンの「アウトサイダー」とか。これは、高校生の時に、国語の先生が「お前にちょうどいい」って言って薦めてくれた本。その先生の家は墨田川の側にあって、一度遊びに行ったら壁一面が本で覆われてた。今でもよく覚えてるよ。その頃は、学校の授業中は教科書に本をはさんで読んでたぐらいだから。その頃は、本屋さんにも通ってた。学校は芝にあったんだけど、近くに時尾書房っていう本屋さんがあって。そこはさ、オバちゃんがカバーをかけてくれる時、ハサミを使って本のサイズにピッタリ合わせてくれるんだよ。何だか、それを眺めてるのが好きだった。
―― 今でも、たまにありますね。そうやってカバーをかけてくれる本屋さん。
北方 : ああ、そう? そういうとこ、まだあるのか……。作家になってから、36、7の頃かな、たまたま時尾書房の前を通ったら、白髪のオバアちゃんがいた。きっと、あのオバちゃんだったはずだよ。
―― その頃、読んだ本というと?
北方 : 何度も言うけど、本当に乱読でさ。主に文庫だったな。新潮と角川、それと春陽文庫とか。ジャンルもメチャクチャだった。「眠狂四郎」も「暗夜行路」も。「銭形平次」は、数学の時間に1冊読みきるようにしてたから(笑)。でも、文庫っていうと、昔は古典か名作だったんだよ。今みたいに、いきなり文庫になって、読んでみたら「損した!」ってのはなかったよ。当然、岩波文庫も読んだよ。プラトンもキルケゴールもニーチェもマルクスも「共産党宣言」もそれで読んだ。
―― なるほど、マルクス体験を引っさげて学生運動が燃え上がっていた大学へと向かったわけですね。
北方 : でも、実は「資本論」のほうは挫折してたんだよ(笑)。でも、マルクスは学生運動には役に立たなかったけどね。でも、学生運動やってるやつがオルグに来たときに、「共産党宣言」の知識でやり込めてたな。だって、連中のほとんどはせいぜい、自分が属してるセクトの誰かが書いたマルクスの解説書を読んでる程度なんだから。
―― 北方さんがゲバ棒を振り回してた頃に、お父上が「こっちの棒もおもしろいぞ」と言って、ゴルフを薦めてくれたという話を聞きました。お父さんから、読書について何かアドバイスはあったのでしょうか?
北方 : 全然。と言うか、俺は大学は法学部なんだけど、それも親父が文学部に行くのを許してくれなかったせいなんだよ。でも、その前に俺は肺に穴が空いてて大学を受けられなかったんだよ。次の年、健康診断書をごまかして何とか潜り込んだ訳だ。でも、病気のせいで、俺は何をやってもいいんだという意識もあった。おまわりさんに石をぶつけても、女の子をやっちゃっても、俺は許されるんだって思ってた。バカだよね。それと、胸に穴が空いてるっていうのは、文学やる者としてはエリートだったんだ(笑)。
―― たとえば、堀辰雄だったり。
北方 : そういう系譜があるじゃない。まあ、胸が悪いから、文学やろうと思ったわけではなくて、俺の場合は偶然だったね。わけのわからない文章は書いていたけど、自己表現のひとつとして。それまで僕とか私とか一人称で書いてたのを、「彼」と書いてみたときにそれまでに知らなかった広がりを感じちゃったんだよ。そこから、文学の道にのめり込むんだけど、胸の病気が治ってしまった……。エリートじゃなくなっちゃったわけ(笑)。
―― と言って、堀辰雄を読んでいたわけではないんですよね。
北方 : やっぱり文庫が多かった。大学が神田の古書街に近かったからそこで掘り出しものをあさったり。1冊、10円というのが相場だった。彼女が阿佐ヶ谷に住んでたから、その近所の古本にもよく行ったな。そこでジャン・コクトーの詩集を見つけて、それを神田の店に見せたら「1200円」と言われた。売らなかったけど(笑)。文庫以外だと、なぜか大江健三郎の「個人的な体験」を買ったのを覚えてる。380円だったかな、400 円だったかも。ファンとかそういうんじゃなかったんだけど、なぜか。五木寛之の「さらばモスクワ愚連隊」が平台にあるのを見て、「あっ、これ売れる」と思って買ったな。初版本だったけど、どこかに行っちゃった。
―― その後、作家デビューの頃に読んだ本は、たとえばライバル視していた作家の作品だったりしたのでしょうか?
北方 : 最初、俺は純文学をやっていて、ライバルじゃなくて、同期というか同志というか、中上健次や立松和平、金井美恵子、高橋三千綱たちがいる。彼らの作品は読者として読むことはできなかったね。生々し過ぎて……。特に中上は強烈だった。胸の病気が治って文学のエリートでなくなったうえに、「岬」を読んだ衝撃は大きかった。この題材があれば、俺ならもっと書けると思ったもの。文章力や構成力は、俺のほうが上だよって。でも、中上が書いている人間の汚濁みたいなものを俺が書くと、それは汚濁とは違うものになってしまうんだよ。純文学というより、物語になってしまう。だったら、そんな俺の才能をハードボイルドに生かしてみようと。これも自己表現にちがいないと。中上のように純文学をやるために生まれてきた人間がいるんだから、それはあいつがやればいい。事実、「枯木灘」に匹敵する純文学作品はその後、生まれてなさそうだもの。
―― 書く側にとって、ハードボイルドはどのようなものですか?
北方 : 人を酔わせるための酒みたいなものかもしれないね。酒は必ずしも必要ないものかもしれないけど、あったほうがいいもの。ハードボイルド小説もそう。
北方さん所有のギッシング 奥付は昭和43年7月30日
こちらが今販売されているギッシング 北方さん憧れの生活がここに
―― 学生時代、そして作家になってから、繰り返し読んでいる本がギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」だと、ある雑誌の記事で読みました。書店で探して、ワイド版岩波文庫を見つけました。
北方 : (ワイド版岩波文庫の「ヘンリ・ライクロフトの私記」を見ながら、)へええ、こんなのあるの!? 俺のは、新潮文庫だよ(と、年季の入った「ライクロフト」を取り出す)。この本との出会いは学生時代だったと思うんだけど、たぶん偶然読んだんだと思う。奥付は、「昭和43年7月30日 20刷」ってなってる。これ、不思議な小説なんだよ。ヘンリ・ライクロフトという売れない小説家の生活が淡々とつづられているだけ。ある日、友人の遺産が転がり込んで、書いて生きていくには、何の不自由もない生活を手に入れる。じつに静謐な小説。
―― 北方さんの憧れの生活がそこにあるのでしょうか?
北方 : そうなのかもしれない。質素だけど、おいしい食事と暖かい部屋があって……。最初、読んだ頃、ギッシングの自伝だと思ってんだよ。それが、やはり大学生の頃に「新潮」で林房雄の「高原」という小説を読んだ時に、「ライクロフトの私記」が自伝風の創作なんだと知った。だから、ギッシングがどうしても手に入れたかった生活が書かれているのかも。何度、読み返したかわからない。
―― 他に何度も読み返している本はありますか?
北方 : 俺は旅行には、読んだことのない本は持って行かないんだよ。だって、せっかく重いのを持って行って、つまらかったらどうするの。ヘミングウェイの短編とか、トルストイやドストエフスキー、デュマの「モンテ・クリスト伯」、日本のものでは「大菩薩峠」もそうだね。もちろん全部読むわけではなくて、好きなところだけ読むんだけど。かわいいおネェちゃんと一緒に行ったリゾートでもそういうのを読んでるわけだから。放っておかれたおネェちゃんは他の男から「あの男の娘なのか?それとも看護婦なのか?」とか声かけられてるみたいだけど。
―― おネェちゃんは「何読んでるの?」とか聞いてこないんですか?
北方 : なかなか、そこまでのレベルの子がいなくて。まあ、それだけ、俺としてはゆっくり本を読めるんだけどね(笑)。
(2001年6月更新)
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