作家の読書道 第99回:冲方丁さん
小説だけでなくゲーム、アニメーション、漫画と、幅広い分野で活動を続ける冲方丁さん。SF作品で人気を博すなか、昨年末には時代小説『天地明察』を発表、新たな世界を広げてみせました。ボーダーレスで活躍し続ける、その原点はどこに? 幼少を海外で過ごしたからこそ身についた読書スタイル、充実の高校生ライフ、そして大学生と会社員と小説執筆という三重生活…。“作家”と名乗るに至るまでの道のりと読書生活を、たっぷり語っていただきました!
その6「ようやく"作家"と名乗るように」 (6/7)
――ところで、アニメや漫画、ゲームなど4つの媒体を経験して思ったことは。
冲方:活字は離れようがないし、活字離れはありえないですね。今は読む媒体から書く媒体に移ってブログやメールや掲示板が盛んになっていて、ニコニコ動画なんかは映像を見ている間に言葉を叩き込める。活字がいかに娯楽として広がっているかを感じるし、これからまた恐ろしく広がっていくだろうなと思います。それがひとつのコミュニティになると、経済活動が停滞するので困るなあと思っていて。プロでも何でもない人たちがその場の気分でtwitterなどを始めることによって、活字媒体の広がりは加速していくんでしょうけれど、活字の商業的な行為は停滞してしまう。今はアニメ業界の方が一番敏感ですね。このままだと消費で殺されてしまう。でもいわゆる「勝負作品」を作ろうとすると停滞する。テレビのアニメの本数は半数になっていて、この年始早々からスタジオの淘汰も始まっている。今、劇場版を作ったりOVAにしたりしているのは、生き残りを賭けての勝負でしょうね。逆に漫画雑誌はコンテンツを増やそうとしてしますね。この状況に耐えられるくらいのコンテンツを今から1本でも増やしたい。このまま加速的に増えていくのか、一握りのものだけが残るのかは、今年来年あたりに分かると言われてます。小説は今ケータイ小説がありますが、あれを「小説」と呼んだのは発明だと思いますね。小説の枠組みとして考える時にどうだろうとは思いますが、活字が求められた結果のものですよね。自分自身に関しては小説が主軸であることは変わらないと分かりました。そして今回『天地明察』を書いて改めて作家だと思おう、と。
――あれ、これまでは何だったんでしょう。
冲方:なんだったんでしょうね。"活字野郎"とか(爆笑)。著述業とか。今回、改めて作家という文字が内包している責任を負おうと思ったんです。それで、名刺にも初めて「作家」と入れました。
――これまでの小説でも、いろいろな試みをされてきたと思うんです。「/」や「=」といった記号を多用したり、漢字のルビにアルファベットを当てたり、韻を踏んだ文章が続いたり。すごく面白いなあと思っていたのですが。
冲方:まず、英語の詩の影響を受けていますね。韻を踏むのは向こうの文化ですし。ルイス・キャロルなんかもすごく言葉遊びをしますよね。円形に文字を配して渦巻き状に読ませたりする。日本語に対する実感としては、アルファベットに比べてものすごく遊べるんです。漢字、カタカナ、ひらがなと、何種類もの文字を使いながら、さらにルビという不思議な表記がある。ルビをふるために印刷技術が発達したくらいですが、これは本当に面白いですね。内心、もっとぐちゃぐちゃにしたいくらいなんですが、そうすると読みにくいと言われてしまうので...。あとは、文字を絵としてとらえているところがあります。ビジョンとしてパッと見た時、どうとらえられるか。漫画の擬音は同じ「バキッ」という音でも文字のデザイン次第で何かが壊れたのか、痛いのか、衝撃を受けたのか表現できる。それに対して活字も、漢字や表意記号を多用してもいいんじゃないかと思って。でもそうすると文章がややこしくなってみんな読めなくなるんです(笑)。
――ドイツ語などを多用したり、『マルドゥック~』では登場人物がみな卵に絡んだ名前になっていたりするのは。
冲方:辞書を写すのが好きなんですよね。パッと開いてここからここまでと決めて写したりしていると、言葉のつながりが見えてきて面白いんです。hで始まるとなんとなく統一感があるなー、などと思ったりして、それを使ったりする。名前を卵で統一したのも、カオスの中での整合性をイメージしたからだと思います。何かが共通しているというような、発見のある小説を書きたくなるんでしょうね。