第164回:東山彰良さん

作家の読書道 第164回:東山彰良さん

この7月に1970年代の台湾を舞台にした『流』で直木賞を受賞した東山彰良さん。台北生まれ、日本育ちの東山さんはどんな幼少期を過ごし、いつ読書に目覚めたのか? さまざまな作風を持つ、その源泉となった小説とは? その読書歴や、作品に対する思いなどもおうかがいしています。

その3「レナード作品との出合いと作家デビュー」 (3/5)

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――さてその後、読書生活に何か変化はありましたか。

東山:1995年に中国に行った前後から、ずっと英語の勉強をしていたんですよね。旅行が好きというのもありましたし、自分の論文を英語に翻訳してカナダの雑誌に投稿したことがあったんですけれど、そのために勉強していたんです。それで、96年か97年くらいに、そろそろ原書で何か読んでみるかということで人に「読みやすい」と教えてもらったのが、エルモア・レナードだったんですよね。確か、最初に『グリッツ』を読みました。そうしたら、英語の勉強のつもりだったのに、話がすっごく面白くて、大ファンになったんです。それからはレナードの本を読めるだけ読みました。日本で翻訳されていないものはアメリカにいる友達に送ってもらったり、持って帰ってきてもらったり。レナードは初期には西部劇を書いていたんですけれど、そうした本も家にいっぱいあります。

――映画の『ゲット・ショーティ』や『ジャッキー・ブラウン』の原作者ですよね。論文を書くための勉強でレナードを読むのが面白いですよね。スラングも多そう。

東山:スラング、多かったですね。よく分からないまま読んでいました。この時期サリンジャーも原書で読んでいましたが、わりと音に似せた綴りを使うんですよ。だから辞書で探しても載っていない。
僕がレナードを読んだのは『ゲット・ショーティ』がまだ映画になる前だったんですが、トラボルタが演じた主人公はチリ・パーマーっていう借金取りですよね。もひとつチリが出てくるのが『ビー・クール』で、どちらだったか忘れましたが、チリが店で仕事相手に会うんですが、紅茶をがぶ飲みしすぎて途中でトイレに行くんです。その間に車が店の軒先に乗り付けて機関銃をぶっ放される。相手は死ぬけれどチリはおしっこをしたかったばかりに九死に一生を得たという、そんなすっごくくだらない話が好きなんです(笑)。さすがレナード先生だ、これでいいんだ、と。

――会話文もテンポがよくて、はちゃめちゃで。

東山:そう。日本のこのジャンルの犯罪小説を読んできていなかったので、僕にとってはレナードが原風景なんです。小説を書きはじめたのは2000年なんですが、その頃の僕の持ち玉はレナードしかないから、レナードの頭で考えて、レナードだったらこう書くだろうと思うやり方ではじめての小説を書きました。

――なぜ、2000年に突然小説を書きはじめたのでしょう。

東山:2000年の9月に次男が生まれたんですが、論文の却下が続いて駄目になりかけていて、職のないドツボ状態から抜け出す目処がたっていなかったんです。ちょうどその頃、台湾で伍佰&China Blueというバンドと知りあって刺激を受けたことも大きかった。いろんなことが重なって自分も何かやりたいという気持ちが湧いてきたんですね。それが文章という形になって出てきたのだと思います。12月のある夜中、何も考えずにパソコンで小説を書きはじめていました。

――なぜ小説だったんでしょうね。

東山:最初は音楽をしたかったけれどギターを辞めてずいぶん経つし、すぐバンドなんてできやしない。でも、何かやりたかったんでしょうね。そういえばサラリーマンの時から大学院の頃にかけても、何かやりたいという沸々とした思いがあって、絵を描いたりしていました。スケッチ帳を買って、落書きのような絵を描いて、アクリル絵の具を使って色をつけたりして。

――どんなイラストですか。

東山:ブルースのロバート・ジョンソンの絵なんかを描いたことがありましたね。ボブ・ディランの顔とか。なぜか分からないけれど、淀川長治さんの顔を描いたこともあります。味があるなあ、と思って。でも人の顔を描いたのはそれくらいで、あとはどうしようもないイラストでした。あ、そうだ、大学時代からサラリーマン時代にかけては童話もよく読んで、自分でもいくつか書いているんですよ。サラリーマンを辞めた時に一回出版社に持ち込んだんですが、もちろん返事もなく。

――そうなんですか!どんな童話を読んで、どんなお話を書いていたんですか。

東山:読んでいたのは小川未明とか宮沢賢治とか新美南吉とか、『モチモチの木』の斎藤隆介なんかですね。自分でも書きはじめたのは、童話くらいの長さじゃないと最後まで書けないんじゃないかと思ったんでしょうね。
最初に書いたのはタヌキの話でした。子供のタヌキが学校で変身を習って、「無闇に変身しちゃいけないよ」と言われるんですが、学校の帰り道に言いつけを守らずに変身するんですよ。蛇になったら地べたが暖かいなとか、石になってみたらつまんないなとか、いろんなものになっていろんな世界を見る。それで最後にネズミだかリスだかになった時にフクロウに襲われるんです。「ああ、食われちゃうんだ」と思うんだけれど、実はそのフクロウはお母さんが化けていて、こってり油をしぼられるという。

――面白いではないですか!!

東山:そういうのを何篇か書いていました。その後論文で長い文章を書くことにも慣れてきて、それで小説を書いたんでしょうね。その時に書いたものをサントリーミステリー大賞に応募したけど駄目で、次の小説を書いている時に宝島のこのミステリーがすごい!大賞を知ったんですが、2本目の小説が間に合わないくらい締切が迫っていたので、1本目の小説を書き直して応募して、運よく作家になれました。

――その作品が、このミステリーがすごい!大賞の銀賞と読者賞を受賞した「タード・オン・ザ・ラン」ですね。のちに『逃亡作法 TURD ON THE RUN』と改題されて刊行されました。近未来の刑務所に被害者家族が復讐のために乗り込んできたのを利用して、囚人たちが脱出しようとする。でも彼らにはチップが埋め込まれていて、脱獄しようとすると眼球が飛び出してしまうシステムになっている。こうした設定はどうやって作られたのでしょう。

東山:なんでしょうね。映画だと思います。ぱっと頭に浮かんだのが、ルドガー・ハウアーの『ウェドロック』。未来の刑務所で囚人たちが首輪をつけられるんですが、2人がペアなんです。誰がペアか分からないんですが、一定の距離以上離れたら両方とも頭が爆発してしまう。つまりどちらかが脱走したら逃げた奴はもちろん、残った奴も死ななきゃいけない。それを参考に、別に頭が爆発しなくても失明の危機があるなら悪いことはできないんじゃないか、ということで最初の小説の仕掛けを思いつきました。

――ミステリーというジャンルで書いていこう、という意識はあったんですか。

東山:最初は、もうレナードからは絶対に自由になれないんだって思っていました。でも近所の貸本屋が閉まる時に本を1冊50円だか100円だかで売っていて、それでチャールズ・ブコウスキーの『くそったれ!少年時代』を買ったんです。それをきっかけに、レナードを読んだ時のしつこさでブコウスキーを読んで、取り寄せられるものは英語でも読みました。それから今日に至るまで、ブコウスキーからは自由になっていない。今でも年に何回か、どれかは読み返しますね。それくらいの衝撃でした。なんでしょうね、ブコウスキーはありのままで汚いんだけれど、時々キラッと、ぎゅっと締め付けられるような美しい言葉があったりする。ブコウスキーが好きな人ってどうなんでしょう、アウトローに憧れているところがあるんじゃないですかね。

――いちばん好きなのはどれかは決められないですよね...?

東山:決められません。でも形状的に持ち歩きやすい文庫の『勝手に生きろ!』と『死をポケットに入れて』は、よく旅行のおともにしています。
彼は短篇も詩もいっぱい書いていて、こんなことを言うのか、と思わせる表現がいっぱいある。人生だったか世界だったかが乾いた尿瓶の臭いがすると言ったり。うろ覚えですが「最悪なのは、取り返しがつかなくなることで、ほとんどの人はそれに気が付いた時には取り返しがつかなくなっている」といったことを言っていて、それは歳をとると身に沁みて分かりますね。

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