第172回:本城雅人さん

作家の読書道 第172回:本城雅人さん

スポーツ新聞の記者歴20年以上、その経験を活かしつつ、さまざまなエンターテインメント作品を発表している本城雅人さん。作家になりたいと思ったのは30歳の時。でもとある3冊の小説を読んで、断念したという。その作品とは? そして40代で再び小説に向かうこととなった、50冊のリストとは?

その3「新聞記者から作家へ」 (3/5)

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  • 『テロリストのパラソル (文春文庫)』
    藤原 伊織
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  • 『顔に降りかかる雨 (講談社文庫)』
    桐野 夏生
    講談社
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―――新人の頃は本を読む時間はなかったですか。

本城:新聞記者ってやっぱり新聞を読まなきゃいけないんです。下っ端の頃だと、毎日毎日自腹で3、4紙くらい買って、他の社にどんな記事が載っているのか見て先輩に伝える仕事があったので、本を読む機会はなかなかなかったんですよ。それに小説を書く腕を挙げるために他の人の本を読まないといけないのと同じで、記者も他の記者の原稿を読まないと上手くならない。だから20代はひたすら新聞を読んでました。で、30歳くらいになった時にだんだんそこから解き放たれて、電車の中でも本が読めるようになって。その時に作家という仕事にちょっと憧れを感じたんです。将来、作家になりたいな、って。

――その時にはじめて思ったのですか。

本城:そうですね。それまではずっと、新聞記者でいたいと思っていましたから。新聞記者って現場に出る限界というのがあって、30歳から35歳なんです。一般紙だと45歳くらいでデスクになるんですが、スポーツ紙では40歳前にデスクになります。で、その後部長、局長になっていくんですけれど、自分がそういうふうになっていくことが想像できなかったんです。40歳、50歳になっても現場にいるのが理想だけれども、それはありえない。それで、何か別の道をさがしたほうがいいんだろうなと思って。それに、その頃一時的に「新聞ってこのまま存続するんだろうか」と思ったんです。インターネットが普及しはじめた頃で、電車の中で新聞を読んでいる人たちが少なくなってきたので「俺が定年になるまで新聞はあるんだろうか」と。自分でもうひとつ何か別の道を作らないといけないと思った時に、漠然と小説というものが浮かんだんです。それで書店の文庫の棚に行って、江戸川乱歩賞の受賞作をとりあえず買いました。藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』、桐野夏生さんの『顔に降りかかる雨』。それと、受賞はしていないけれど最終候補に残った折原一さんの『倒錯のロンド』。その人たちがどういう作家なのかも知らずに、ただタイトルを見ただけで読もうと思って。それが、超上級小説であったんですよね。乱歩賞受賞作も年によっていろいろだと思うんですけれど、いまだに残っている名作3冊を無造作に選んでいました。
藤原さんのも桐野さんのもすごかったし、折原さんにはこの人何個視点を持っているんだろうって思って、それで、自分は作家になることを断念したんです。

――え、作家を目指すことを断念したんですか。

本城:ワン、ツー、スリーでパンチいれられてノックアウトして沈んだような感じでした。ああもう駄目だな、自分が作家になるなんて無理だな、って。その後ずっと、この3作に打ちのめされたままで、10年間くらい作家になろうという気持ちは忘れていました。でも、40歳くらいになった時にもう一回思い始めたんですよ。

――40代で、また作家を目指そうという気持ちになったのはどうしてですか。

本城:その後、社費でニューヨークに2年間ほど留学させてもらったんです。そこで9・11を経験して、2001年に36歳で帰国したら、がらりと変わっていたんです。まず、インターネットが普及して新聞の速報性がなくなってきた。もうひとつは、これは1996年の地下鉄サリン事件から始まっているんですけれど、駅からごみ箱がなくなったおかげで、スポーツ新聞が一気に売れなくなったんです。今はゴミ箱もまた見かけますが、一時期はまったくなくなった。特に駅で買うスポーツ新聞は家には持って帰りにくいページもあるので、買われなくなったんです。それで、やっぱり次の道を考えなくてはいけないなと思ったんです。
僕は46歳でデビューできたんですけれど、3年間くらい新人賞に応募していた時期があるんです。その前の時期に、すごく本に詳しい人に「何を読んだらいい?」と訊いてリストをもらったんですよね。50冊くらいありました。その人は全部貸してくれると言ったんだけれど、借りたら読まない気がして。「自腹出さなきゃ駄目だな」と思いました。で、そのリストを持って本屋さんに行って、片っ端から買ったんですよね。大沢在昌さん、宮部みゆきさん、伊集院静さん、今野敏さん、佐々木譲さん、伊坂幸太郎さん、奥田英朗さんに垣根涼介さん...。荻原浩さんの『明日の記憶』も挙がっていました。そういう本を片っ端から読むところから始まりました。

――ミステリーに限らず、幅広いエンタメ小説ということですね。

本城:はい。今こうやって振り返ってみると、みんなエンタメでしたね。それでも自分に合う、合わないというものがあったと思いますが、そうやって広い範囲のエンタメ小説を読むことによって、自分がどのあたりを書けば作家になれるか、おぼろげながら見えてきたところがあって。方向性ということでもそうだし、やっぱり他の人が書かないものを書かないと、二番煎じではデビューできないなと思いました。自分が何を書きたいか、自分なら何を書けるか、必死に考えました。

――この人から影響を受けたと強く思う人は。

本城:やっぱり最初に読んだ藤原さんと桐野さんがずっと残っているんですけれど、40代になってから作品を網羅したのは奥田さんと垣根さん。奥田さんなんて物語と文章のうまさというか、綺麗さがもう。

――奥田さんは『最悪』『邪魔』といったガツンとしたものもあれば、『イン・ザ・プール』などの軽いタッチのものもありますよね。

本城:『ガール』とかも読みましたよ。平穏な空気のなかに読者をくーっと引きずり込んでいく巧さがありますよね。一方で垣根さんは『ワイルド・ソウル』のような、壁みたいなものを強引にストーリーで打ち破っていく勢いがあって。「こうやって小説というものを作るんだな」と、すごく勉強しました。
他の人は作家を目指そうと思ったら、まず書き始めると思うんです。でも僕は、自分は本を読んでいないという負い目があったから、まず読み始めた。やっぱり世の中に出ているものを読まないと自分の方向性が見つけられないと思いましたから。

――その50冊のリストが見てみたいです。

本城:リストに載っていた本は今でも自分の事務所にほとんど残っています。デビューするまで2、3年間応募生活をしていて、やっぱり苦悶している時期もあったんですね。その頃に読んだ本ですから、今でもスランプになるとそれらの本を読むと、どうやって行き詰った状況から脱出したのかが思い出せる。すべてが、たとえば「新潮文庫の100冊」といったフェアをやる時に必ず入ってくる名作ばかりだと思います。

  • ワイルド・ソウル〈上〉 (新潮文庫)
  • 『ワイルド・ソウル〈上〉 (新潮文庫)』
    垣根 涼介
    新潮社
    810円(税込)
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