作家の読書道 第172回:本城雅人さん
スポーツ新聞の記者歴20年以上、その経験を活かしつつ、さまざまなエンターテインメント作品を発表している本城雅人さん。作家になりたいと思ったのは30歳の時。でもとある3冊の小説を読んで、断念したという。その作品とは? そして40代で再び小説に向かうこととなった、50冊のリストとは?
その4「スポーツを書くということ」 (4/5)
――スポーツミステリーはなかなかなかったんですか。
本城:ないですね。ただ、デビュー作の『ノーバディノウズ』は最初からスポーツ小説を書きたいと思ったのではなく、たとえばアメリカで東洋系の活躍している人がいたら、こういうことがあるんじゃないのかな、と考えた時に「これスポーツを題材にしたら小説になるんじゃないのかな」と思ったんです。最初からメジャーの話を書こうと思ったわけではないんです。
――日本の野球とメジャーの野球のやり方が違う、といったトリビアが面白かったんですが、それは記者時代に知ったことだったんですか。
本城:そうですね。僕は野球と競馬の記事を書いていましたから。野球を見ていると、打席に入る時、日本人選手はみんなキャッチャーの後ろを通るのに、ある外国人選手は必ずベースを踏んで打席に入る。仲がいい記者たちと、その理由を考えて、極端なところでは「キャッチャーの後ろが崖だったところで野球をやっていたんじゃないか」とか言っていたんです(笑)。で、本人に訊いたら「なんでベースを踏んじゃいけないんだ」と言うので、「ベースは神聖なものじゃないのか」と言ったら、「そんな考えはアメリカにはない」って。そうしたことを見聞きしていたんですね。「たかが野球でもこんなにいろんな習性が出るんだな」っていう。そういうところでずっとものを書いていくと、人にはそれぞれの習性があって、それはその人の育ち方とか親とか友人といったものの影響を受けているんだ、というふうに発想が広がっていったんです。だからミステリーを書きたいというよりも、こういうキャラクターが築かれた過程を書くことで読者を引きずり込んでいきたい、というふうに考えていったんです。
――その人の人間の部分を書く、といいますか。
本城:自分も読者だった頃から人間を書くことが大事だと思っていたんですが、実際には結構難しくて。何を書けば人間を書けるのか。単に過去を書くだけじゃ駄目で、その過去が今に現れていなくちゃいけないと思うんですよ。こういう過去だったから今こうなっている、ということとか。
――渡された50冊がたとえば純文学のリストだったら、まったく方向性が違っていたのかもしれませんね。
本城:もしそうだったら、また断念していたかもしれません。たまたまリストをくれた人の好みだったんですけれど、ストーリーを動かしていくものが多かった。たとえば伊坂幸太郎さんだったら『陽気なギャングが地球を回す』だったし。どれもエンタメ性が高いものだったんです。
――新人賞の応募を始め、2009年に『ノーバディノウズ』が松本清張賞の候補となり、選考委員から称賛されて刊行されることに。それがサムライジャパン野球文学賞の大賞を受賞します。その後、野球や新聞記者というモチーフで書き続けていこうと考えていましたか、それとも。
本城:自分の経歴がそういう経歴だったので、編集の方からもスポーツ小説のオファーが多く、最初はそういう小説を書いていました。ただ、僕自身はスポーツ小説を書きたいとか、ミステリーを書きたい、というのはあんまりなくて。こじつけっぽくなるんですが、本をたくさん読んだ時に思ったのは、読み終えて、最後に本を閉じた時に、思わず拍手したくなる本が素晴らしいなと思ったんです。今もそれはずっと思っています。本を閉じた時に「いい本読んだな」「よくできた小説だな」と唸るような本。
だから、ジャンルとかは関係ないんですよね。何系の本、ということではなく、そういう本を書きたいと思う。「何が書きたいですか」と訊かれたら「読み終えた時に拍手されるようなものを書きたい」って言いたい。そのためには「自分は何系だ」と決めつけてもいけないし、プロットを細かく作りすぎても駄目だと思うんです。そういうものってなにか、偶発的に発生するものじゃないかなっていう。もちろん書きながら細かく練らなきゃ駄目ですけれども。ああだこうだと書き足したり変更したりしながらやっていくうちに、最初に思っていたものとまったく違うものが出てきて、そこに自分にとってもサプライズみたいなものがあって初めて読者が驚いてくれて。それで本当に夢を言うならば、舞台が終わった時に一瞬シーンとして一人が拍手しはじめたら段々みんなが拍手してくような、そういう感じになるものが書きたいですね。