第179回:田丸雅智さん

作家の読書道 第179回:田丸雅智さん

ショートショートの書き手として、次々と作品集を発表、さらには一般参加者が作品を作る講座など、さまざまなイベントも精力的に開催している田丸雅智さん。幼い頃にハマったのはもちろん星新一さん、ではいちばん好きな作品は? 他にもハマった作家や作品や、さらにデビューに至るまでの苦労や現在の活動についてもおうかがいしました。

その3「ショートショートを書き始める」 (3/5)

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――大学時代は理系の専門書を読むほうが多かったとは思いますが、文芸作品も読みましたか。

田丸:大学から読みました。本格的に創作を始めたのが大学からだったんです。最初の20、30作品くらいはすらすら書けたんですけれど、そこから詰まってなぜ書けないのかと考えた時、ひと言でいうと教養がないからだな、って。薄々気づいていたんですけれどはっきり直面したので、そこから旅行したり料理をはじめてみたりいろんなことを始めてみたんですが、そのひとつが読書でした。圧倒的に読書していなかったんです。古典も有名どころも、いまだに読んでいないものも沢山ありますが、とにかく読んでいなかったので、まずは聞いたことのある本から読んでいくようになりました。太宰治とか芥川龍之介とか夏目漱石とか、志賀直哉とか川端康成とかいった古典、近代文学は大学時代に読みました。

――創作というのはショートショートのことですよね。きっかけは何だったのですか。

田丸:高校2年の時に時間を持てあまして、ちょっと書いていたんです。小学生の頃から星新一さんを読んできたこともあって、なんとなくルーズリーフに書いてみたのがショートショートでした。授業が終わった後に友達に見せたら「面白い」と言ってくれて、それではじめて、物語って自分で書いてもいいものなんだって気づけたんですよ。そこから暇な時に書いていました。といっても高校時代は10作も書いていないと思います。
大学に入ってから、工作好きとしてものを作ることは大学の研究でできるけれど、もうひとつ、それ以外で何か軸が欲しいなと思ったんです。大学に入ったら何かしたいな、と。そして芸術系をと考えていくうちに、僕の中では文学と音楽が残りまして。それでエレキギターも買いましたし、親が持っていたクラシックギターでちょっと遊んだりしたんですが、家で練習すると近所迷惑になるかもしれない。人の顔色をうかがってしまう性格なので、ちょっと大きい音を出すと「隣の人、嫌かな」と思ってしまう。それともうひとつ、誰かと組んで演奏するとか、スタジオを借りるということが億劫でした。それで、一人でもできる小説というものだったら高校時代に少し書いていたし、やってみようかなと思って。文芸サークルも一応見に行きましたけれど、やっぱり一人でやりたいなと思った。僕、高校の時も塾に行かなくて独学で。ひとりでやるほうが好きなんです。

――応募もするようになったわけですか。

田丸:すぐではなく、大学の2、3年の頃から応募をはじめました。最初は応募せず、勝手に趣味で製本していました。大学の共用スペースみたいなところにある自動裁断機で印刷用紙をA6サイズに裁断して、家のプリンターをそのサイズに合わせて両面印刷してノンブルとかルビをふって、閉じて背面を接着剤でつけて、表紙もヘタクソな絵を描いて、タイトルをつけて。だいたい20部くらいを作って友達や知人に配っていました。それでどの作品が面白かったのかを聞いてみて、自分の中にフィードバックするということを続けていたんですけれど、それだけでは限界があるなと感じはじめました。怖いけれどコンテストに出してみよう、と思ったのが大学2、3年の頃です。最初は落ちるんですけれどだんだん選ばれるようになっていって、入選すると賞金が振り込まれる。ただ、それはそれで嬉しいんですけど、でも「以上、終了」でした。次に繋がらない。「入賞しました、ひいてはライタースクールに通いませんか」とかいうあやしい電話がかかってきたこともありました。費用は70万円だって言われました。

――あやしいですね、それは。そうした創作のなかでも、読書は続けていましたか。

田丸:そうですね。現代作家の方だと宮本輝さんを大学時代から読んでいました。高校時代の読書感想文の課題図書が宮本さんの『錦繡』だったんです。それを読んで「きれいだな」と思い、山形に行くことがあったら蔵王に行ってみたいと思っていて。その後でたまたま『泥の河・蛍川』を読んで痺れて、「あ、この作者はあの『錦繡』の人か」となって『錦繡』を読み返し、そこからドはまりして『幻の光』とか『青が散る』とか...。それで、僕が宮本さんにハマっていると聞いた弟が、僕が大学3年の時の誕生日に宮本さんの『約束の冬』をくれたんです。それが今、僕の人生のバイブルです。上下巻なんですが、弟は何を勘違いしたのか上巻しかくれなかった(笑)。そこに『徒然草』から引用されている箇所があったんです。芸のプロはみんな最初から称賛されているのでなく叩きあげで、野次られながら名人になっていく、みたいな文章があって、主人公たちが感銘を受けるところが好きで。それまでショートショートのコンテストにはちょいちょい応募はしていたんですが、選ばれてもデビューにつながらない。自分で何かしら行動を起こさないと思っていたところに『約束の冬』を読んで、「ああ、このままじゃ駄目だな」と思い、それで江坂遊さんという、星新一さんの後継者の方に手紙と作品を出版社気付で送ったんです。それが転機となりました。

――ちょっと話は脱線しますが、兄弟で誕生日プレゼントを贈り合うなんてずいぶん仲がいいですね。

田丸:思春期まではそうでもなかったんですけれど、僕が大学進学で東京に行ってから一気に仲良くなって。誕生日プレゼントは今はもう贈り合ってはいませんが、電話で2時間くらいしゃべることもあります。弟は服飾関係の仕事をしていて、実は今日僕が着ているシャツも弟が作ったものです。小説やアニメや映画やアートにも詳しいので、「これ絶対見たほうがいい」と教えてくれたものは見るようにしています。

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