第123回:はらだみずきさん

作家の読書道 第123回:はらだみずきさん

少年の成長や周囲の大人たちの人生模様を丁寧に描いた「サッカーボーイズ」シリーズなどが人気のはらだみずきさん。さまざまな人の心の内の迷いやわだかまりを優しく溶かしていくような新作『ホームグラウンド』も、評判となっています。そんな著者は、どのような読書遍歴を辿ってきたのでしょうか。幼い頃の衝撃的な出来事や就職後の紆余曲折など意外な話も盛りだくさんです。

その4「結婚した直後に会社が倒産」 (4/5)

赤いカンナではじまる
『赤いカンナではじまる』
はらだ みずき
祥伝社
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基本・本づくり―編集制作の技術と出版の数学 (1967年)
『基本・本づくり―編集制作の技術と出版の数学 (1967年)』
鈴木 敏夫
印刷学会出版部
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――ところで、司書になったら自由な時間に小説を書こうと思ったとのことですが、実際にはいつから小説を書いていたのですか。

はらだ:中学生の時に日記を書いていたんです。でも普通に書くのは恥ずかしいから三人称で主人公をたてて書いていました。それがはじまりだったのかも。大学時代には一度だけ新人賞に応募したこともあります。でもそのあとは応募とかはせずに、ただ好きだから書いていました。発表の場を求めていたというわけではないんです。僕は今でも草サッカーをやっているんですが、それと同じで"草小説家"だったわけです(笑)。でも24歳の時に友人から持ち込み雑誌を出すから、そこで小説を書かないかといわれて、掌小説を5本ほど書きました。自分の書いた小説の載った雑誌が神保町の三省堂書店に並んでいるのを手に取った時は嬉しかったですね。その後も自分の楽しみで書き続けていきました。以前刊行した『赤いカンナではじまる』の表題の短編は30代に書いたものを改稿したものです。「こういうものあるんですけど」と編集者に見せたら「出しましょう」という話になったので、あれは書き下ろしなんです。

――就職された先は商社だったそうですが。

はらだ:やっぱり書く仕事に近づきたいと思って出版社に転職しました。その前に、ある本と出合ったんです。『基本・本づくり 編集制作の技術と出版の数学』という、鈴木敏夫さんという方の著作で、印刷学会出版部から出たものです。たまたま会社の先輩が貸してくれたんですが、もうこれは誰にも渡したくないと思いました。企画編集校正から原価計算や本の流通まで、詳しく書かれてあったので、これを勉強して出版界にいけば成功するだろうって思ったんです(笑)。アンダーラインをたくさん引きました。それで転職したわけですが、入って1年でその出版社が傾いてしまったんです。結婚とほぼ同時に失業してしまいました。

――えっ。会社がなくなってしまったんですか。しかもご結婚された直後に。

はらだ:ようやく出版社に入れたから結婚したのにすぐ失業して、OLだったかみさんを毎日駅まで送っていました。でもすぐに次が決まって、出版社の営業マンになりました。その会社では営業が8年くらい、編集を2年ほど務めました。

ささやかだけれど、役にたつこと
『ささやかだけれど、役にたつこと』
レイモンド カーヴァー
中央公論社
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サッカーボーイズ  再会のグラウンド (角川文庫)
『サッカーボーイズ 再会のグラウンド (角川文庫)』
はらだ みずき
角川グループパブリッシング
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――その頃はどんな本を読んでいたのでしょうか。

はらだ:学生時代に比べると実用書の割合が多くなりましたね。小説も純粋に楽しめるものが増えました。池波正太郎さんの時代小説を読んだり、寺山修司さんの競馬エッセイを読みあさったり。当時のアメリカの最先端と言われたブレット・イーストン・エリスやジェイ・マキナニーなんかも読みました。レイモンド・カーヴァーの『ささやかだけれど、役に立つこと』を読んだのもこの頃ですかね。タイトルにやられました。

――営業部から編集部に異動になったんですか。

はらだ:そうですね。とばされました(笑)。本を作ったこともないのに編集部長として異動したので、どうしていいか悩みました。ある企画があったのですが、上から降りてきたもので、誰もやりたがらない。ストリッパーのインタビュー集の企画でした。じゃあ僕がやるか、となって、毎日昼間からストリップ劇場に通って、ちゃんと踊りを見せてもらってから、ライターさんと一緒に踊り子さんにインタビューしていました。その本とは別にもう1冊担当編集者として作ったんですが、それが売れたら次のステップへ進もうと思っていたら、売れてしまったんです。自分で企画したハワイ関連の本でした。発売前に営業に確認すると、注文がほとんど取れてなくて、自分は元営業だったので、発売前に見本を持って、八重洲ブックセンターに注文を取りにいったんです。店頭で見本を見せながら書店員さんと話していたら、年配のお客さんが近寄ってきて「その本をください」と僕の持ってる本を指さしたんですよ。ぞくっとしました。「さしあげます」と言いたいところだったんですが、見本であり売り物なので「これは近々発売になるんです」って説明して。そうなったら書店員さんも注文をたくさんくれますよね(笑)。発売後、事前注文の少なかった名古屋にも注文を取りにいきました。そうしたらめでたく重版したので、会社を去ることにしました。

――会社を辞めてどうされたんですか。

はらだ:その後処女作となる『サッカーボーイズ 再会のグラウンド』を書き上げて本になりました。その本をある編集者が"見つけて"くれて、角川書店から文庫で出すことになったんです。その方との出会いがなかったら、作家にはなっていなかったかもしれません。小説を書き続けるために、草小説家ではなく、プロの作家の道に進むことに決めました。ただ、決まった仕事があったわけでもなく、家庭のこともありましたから、大きな岐路でしたね。

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