第124回:白石一文さん

作家の読書道 第124回:白石一文さん

今我々が生きているこの世界の実像とは一体どんなものなのか。政治経済から恋愛まで、小説を通してさまざまな問いかけを投げかけている直木賞作家、白石一文さん。彼に影響を与えた本とは何か。直木賞作家であり無類の本好きだった父親・白石一郎氏の思い出や、文藝春秋の編集者だった頃のエピソードを交え、その膨大な読書体験のなかから、特に大事な本について語ってくださいました。

その4「啓示をうけて書かれた作品とは」 (4/6)

カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)
『カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)』
ドストエフスキー
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アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)
『アンナ・カレーニナ〈上〉 (新潮文庫)』
トルストイ
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優駿〈上〉 (新潮文庫)
『優駿〈上〉 (新潮文庫)』
宮本 輝
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蛍川・泥の河 (新潮文庫)
『蛍川・泥の河 (新潮文庫)』
宮本 輝
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――数々の名作を読むなかで、才能がある、ないと感じるのはどういう違いなんでしょうか。

白石:ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なんかは読み切れないんですよ。すごく分かるんです、手つきが。もちろん彼自身はいろんな目にあった人ですが、僕にいわせればああいうものは書ける気がする。それよりもトルストイのほうがすごいと思いましたね。『アンナ・カレーニナ』では狂言回しのひとり、リョーヴィンが持つ領地の泥道の描写なんて徹底的にやっていますよね。しかもものすごく多くの人物を出しているのに、トルストイは全部描き分けているんですよ。見事な情景描写もできるし人物の書き分けもできるしストーリーもあって、しかも人間とは何か、ということを突き詰めようとしている。スーパーマンです。アンナを喪った後、ブロンスキーがろくろく話もできなかったのは、歯が痛かったからって......これ天才ですよ。身体感覚がいかに人間を拘束するか。どんなに高邁なことを考えていても、お腹が痛かったらそちらに意識がいく。そういう基本を押さえていますよね。トルストイには司馬遼太郎と同じような、あらゆることを書けるという才能を感じました。ボクサーで言うなら攻撃と防御の両方を一体化しているんですよね。ドストエフスキーは攻撃だけ。殴って殴って殴りまくる。日本の作家では、たとえば宮本輝の『優駿』などには、まさしくトルストイ並みの異様なテクニックを感じますね。

――どんなところが、ですか。

白石:会社社長の和具という男がいて、臓器移植を受けさせなくてはいけない子供がいるんですけれど、その子がどうなるかとか、娘が自分の秘書をやっている野心満々の男とつきあうことになるといったことは、最初は何も考えずに書き始めているんですよ。小説を作っていくなかで、自然にそういう展開になっていっている。特殊な啓示みたいなものを感じないと書けない作品です。小説から自分が離れている。ドストエフスキーには最初から最後まで自分で小説をコントロールしようとするものすごい意志を感じる。でもトルストイや宮本輝は、そうなっていく、というものになっている。どちらも、最終的には小説の神様の意志に従って書いているわけですが、僕にとっては、ドストエフスキー的な従い方よりもトルストイ的な従い方の方が素敵に見える。つまり自分には出来ない気がするんですね。

――最初は考えていなかったというのは、宮本さんに訊いたのですか。

白石:訊かなくても分かります。コースを変えているもの。そもそもめちゃくちゃ才能があるから、どっちに展開してもいいような書き方をしている。この籤が当たるか当たらないか分からない、でもどっちの運も持っているという書き方。『泥の河』などもそう。短編の「五千回の生死」も一日のうちに五千回「死にたい」っていう人が出てくる話だけれど、これも異様な才能を持っていないと書けない小説でした。僕は学生になった頃にはもう作家になりたいと思い始めているから、その人が持っている圧力みたいなものがだんだん分かるようになっていたんです。村上龍の『限りなく透明に近いブルー』を読んだ時は脱帽したし、2作目の『海の向こうで戦争が始まる』も『コインロッカー・ベイビーズ』もすごかった。『愛と幻想のファシズム』を読んだ頃はもう文藝春秋に入社していたと思いますが、あの鈴原冬二の演説は忘れられない。山田詠美さんの『ベッドタイムアイズ』も話題になっていた頃に読みました。山田さんは『ひざまずいて足をお舐め』や『トラッシュ』がすごかった。会社に入ってからは目に触れたもの、話題になっていたものを読んでいたんですよね。村上龍さんはほぼ全作読んでいます。あとは吉行淳之介や立原正秋や小島信夫なんかも大人になってから読んだかな。立原正秋は『冬の旅』とか『剣ケ崎』とか。文章がすごくキレているんですよね。そういえば、川端や谷崎も高校生の頃に読んだけれど、熱中するまでにはいかなかった。むしろ志賀直哉の短編などを沢山読んだ記憶がある。

――小説を書きはじめたのも大学生の頃ですか。

白石:大学1年の冬、2年になる直前くらいですね。その頃から大学を卒業したら作家になろうと思っていました。まさか作家になるまでこれほどの長い年月がかかるとは思ってもいませんでした(笑)。そこから昔の芥川賞受賞作などを読んでいきました。芥川賞がほしかったんですね(笑)。応募したのも『文藝』や『すばる』や『群像』。『オール讀物』にも1回くらいは出したのかな。田舎に帰った時に家に送られてきている『オール』を開いて、予選通過作品の発表を見たら細字だったんですよね。最終に残る人は太字で、細字は落選なんです。ショックを受けて雑誌を投げ捨てたら親父に怒鳴りつけられました。たとえ細字であっても雑誌に名前が載るまで選考に残ることがいかに大変かということをこんこんと説教されましたね。のちに『文學界』の編集者になって新人賞の選考をやってみて、はじめてその意味が分かりました。みんなちゃんと書いていて、そんなに簡単に残ることなんてできない。しかもバックナンバーを見ると、芥川賞をもらっているような方々が最初は細字で消えている。みんなそこから始めているんだと気づかされました。

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