第124回:白石一文さん

作家の読書道 第124回:白石一文さん

今我々が生きているこの世界の実像とは一体どんなものなのか。政治経済から恋愛まで、小説を通してさまざまな問いかけを投げかけている直木賞作家、白石一文さん。彼に影響を与えた本とは何か。直木賞作家であり無類の本好きだった父親・白石一郎氏の思い出や、文藝春秋の編集者だった頃のエピソードを交え、その膨大な読書体験のなかから、特に大事な本について語ってくださいました。

その6「作家になってから、そして自分にとって小説とは」 (6/6)

僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)
『僕のなかの壊れていない部分 (光文社文庫)』
白石 一文
光文社
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すぐそばの彼方 (角川文庫)
『すぐそばの彼方 (角川文庫)』
白石 一文
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不自由な心 (角川文庫)
『不自由な心 (角川文庫)』
白石 一文
角川書店
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一瞬の光 (角川文庫)
『一瞬の光 (角川文庫)』
白石 一文
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草にすわる (光文社文庫)
『草にすわる (光文社文庫)』
白石 一文
光文社
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翼 (テーマ競作小説「死様」)
『翼 (テーマ競作小説「死様」)』
白石一文
光文社
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幻影の星
『幻影の星』
白石 一文
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――そうして編集者として働く一方で、小説も書いていたのですよね。すばる文学賞で佳作を受賞したのは34歳くらいの頃ですね。

白石:その前に26歳くらいで『僕のなかの壊れていない部分』は書いていたんです。これは『異邦人』の影響を受けていますね。週刊誌から『諸君!』に移って少し仕事がラクになった頃に書き始めて、結構時間もかけたんですが、新人賞に応募してもちっともひっかからなくて、自信を失いつつありました。日本文学振興会に移った頃に滝口明という名前で書いた「鶴」という小説ですばる文学賞の佳作をもらったんです。これは発表する時に「惑う朝」というタイトルに変えられました。大学を出たら作家になるという僕の計画からずいぶん遅れてしまいましたが、これで作家になれると思ったら全然なれませんでしたね。「すばる」には何本か書かせてもらって、特に『第二の世界』という小説は二五〇枚くらいある長いもので、これが掲載されれば先がひらけると思っていたら、ゲラにもなっていたのに、とある別の作家の盗作事件で当時の編集長や担当デスクが異動になって、新しい編集長になったら掲載そのものが取りやめになってしまいました。これじゃあ駄目だと思って35歳の時に『すぐそばの彼方』を書いたんです。『文藝春秋』で政治記事を担当していたので、自分が永田町で垣間見たことを土台に書こうと思ったんです。書いて出版社に持ち込んだけれど相手にされませんでした。仕事も忙しかったので次は長編でなく中編で『不自由な心』を書いた。これも酷評されましたね。『一瞬の光』も2社に断られてから出版することが決まったんです。つまり、『一瞬の光』以降何冊か出していくんですが、全部とっくの昔に書いたものなんです。当時はパニック障害になっていたので、新作がそんなに書けるわけがないんです。でも「白石さんは本を出すたびに巧くなりますね」なんてよく言われましたよ(笑)。

――弟さんである白石文郎さんも作家デビューされていますよね。

白石:最初に書いた超実験的小説が『寵児』というタイトルで海越出版社から出ました。その後『僕というベクトル』と改題されて光文社文庫になっています。これがすごい小説なんです。彼は村上龍に匹敵する天才だと思う。自分の兄弟でよかったなと思います。そうじゃないと悔しくてどうにかなったと思う(笑)。でも今は8年間、何も出していないんです。何か書いてはいるようで、講談社のある編集者とはやりとりしているみたいなんですが、何を書いているのかはその人以外には誰にも見せないんです。どうにか形になるといいなと思うんですが。

――白石さんが会社を辞めたのはいつ頃ですか。その後九州に引っ越されましたよね。

白石:2003年に『草にすわる』を出した頃に辞めました。九州に移ったのは、父が癌だったから。父は治療しないと言ったんですが、そんなわけにはいかないでしょう。僕と弟でいろんな治療法を探しては世話をして、東京と九州を行ったり来たりして大変だったんです。それまでは父は会社を辞めると言ったら激怒していたんですよ。せっかく文藝春秋に入社したのになんで辞めるのか、って。でも癌になっていたので「仕方ない」と言ってくれました。僕も本当は辞める気はなかったんです。パニック障害で休職した後に負担のない部署に異動させてもらったんですが、そこでいろいろ聞こえてきたんです。会社ではそんな状態なのに本は次々出しているじゃないか、って言われていました。どうしようかなと思っている時に僕を『諸君!』に戻す話になったんです。その時、小説のほうを辞めようと思った。もう何作か出版できたし仕事で会社に迷惑をかけていると思って、光文社の担当者だった大久保雄策さんのところに挨拶に行きました。「『諸君!』に復帰することになったのでしばらくは小説を書かない」と言ったら、すごく怒られましたね。「何言っているんですか、今から編集部に戻ってもやることはないでしょう」って。その頃は妻子ともすでに別居して、家のローンがあったりいろいろお金がかかることもあったので、そう言ったら「いくらいるんですか、1000万円くらいならすぐ用意します」と言うんですよ。まあ、景気が悪くなかった頃の話です。結局お金を借りることはしなかったんですけれど、そこまで言ってくれる人が一人でもいてくれたので小説でやっていこうと思いました。

――会社を辞めてからは九州にいて、数年でまた東京に戻って、そこからは何度も引越しされて、今は神戸ですよね。住んでいる場所が小説の舞台にも反映されています。

白石:父が亡くなって、3、4年九州にいたら、だいたいの場所を書いてしまったんです。それで東京に戻りました。『翼』では新宿を書いたし、『幻影の星』には神楽坂が出てくる。おおむね一か所で一冊書いていますね。それで、どこかもうひとつ、舞台となる広いエリアはないかなと思ったら、やはり関西が浮かびました。京都や奈良、紀伊半島にも行ける。言葉が違うことは心配だったんですが、一度住んで見てみようと思い、神戸に越しました。知り合いのノンフィクション作家の後藤正治さんが神戸夙川学院大学の学長をしていて、「神戸は開放的でいい場所だよ」と言ってくれたことも大きかったですね。実際住んでみるまでは大阪と神戸がこんなに近いとは思っていなかったんです。今は神戸が舞台のものを書いています。

――白石さんは書き下ろしが多かったですが、『幻影の星』は『オール讀物』に連載されたものですね。東京で働く青年が、震災後に不思議な体験をする。そのなかで、この世界の在り方への考察もつづられます。

白石:雑誌の連載はやったことがなかったんです。毎月締切に合わせて書くということができないので、あらかじめ全部書いたものを渡して、それを区切って掲載して連載にしてもらいました。『幻影の星』では自分がいいたいことをちゃんと書こうと思ったんです。震災があってたくさんの人が亡くなって、絆だとかみんな言っている。それはそれでよく分かる。でも、こんなことは言いづらいんですが、死というのをそんなにネガティブにとらえる必要があるのだろうか、とも思う。なぜなら死とはどういうことか、よく分かっていないから。この世界がどうなっているのか、構造的な成り立ちや仕組みを考えた時、人は生まれて育って死んでいくという時間という物差しではかりますよね。実際それは便利な測定方法ですが、我々はそれにとらわれすぎていて、本当の世界の姿がよく見えなくなっているのではないか。そういうことを書きたかったんです。

――白石さんの作品はもちろんストーリーも面白いですが、どんどん思索的、哲学的な部分が濃くなっていっていますね。

白石:僕は今回のインタビューのために過去に読んだ本のことをあれこれ考えてみたんですが、憶えているようで憶えていない本があまりにも多いし、決定的な影響を受けているのが『異邦人』くらいしかなかったということに驚きました。今は自分が作品を提供する側ですから、あらゆる人にとって大切な1冊の本であれ、と思って書くけれど、なかなかそうはいかない。結局あらゆる人ではなく自分に向けてといいますか、自分という人間がどういう人間なのか知りたくて書くところから抜けられないでいるかなとも感じます。『異邦人』にあそこまで影響を受けたのは、そこで"自分"と出会ったからなんですよね。

――単なる娯楽としてではない読書が、そこにあったと思います。

白石:本を読むことって経験のひとつでしかない。しかも内容もよく憶えていないことも多い。憶えていなくてもちゃんと血肉になっていますよと言われたら「まあその通りですね」とは言いますよ。でも僕にとっては本の力で人生が豊かになるとか、心が潤うということは余りないんですよね。むしろ自分という存在のありようを納得させたいと思う時に、本というものが、僕にはすごく必要なんです。むろんそういう時に必要なものは人によって違うかもしれません。でも僕にとって本は、そういうものなんです。

(了)