作家の読書道 第129回:山田宗樹さん
人々が本当に永遠の命を手に入れた時、世界は楽園となるのか、それとも。近未来を舞台に不老不死社会のありようをリアルに描き出す長編『百年法』が話題となっている山田宗樹さん。特別本好きではなかった青年がはじめて夢中になった小説は。理系出身の研究者が小説家を目指したきっかけは。影響を受けた本たちとの出合いについて、おうかがいしました。
その3「一冊の本が『嫌われ松子の一生』のきっかけに」 (3/4)
- 『嫌われ松子の一生 (上) (幻冬舎文庫)』
- 山田 宗樹
- 幻冬舎
- 617円(税込)
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――そして見事受賞されて。ただ、そこからも会社勤めは続けたんですよね。
山田:新人賞を獲ってもそう簡単にはいかないと分かっていましたから、辞めるという選択はありませんでした。読書に関しては、その後は小説もかなり読みましたが、資料や参考文献の量も多くなりましたね。小説のネタ探しになるような本が増えたんです。次に書きたいテーマが決まっている時はそのジャンルの本を探しますが、書店の中をふらふら歩いて、たまたま目について興味を惹かれた本からネタを拾うこともありました。
――これは、という本との出会いはありましたか。
山田:書店である女性の手記みたいな本を見かけて、気になって読んだことがあったんです。読んでいくとその女性の視点が非常にバランスを崩していることが分かる。自分の解釈を暴走させて思い込みを吐き出しているのが伝わってくるような内容でした。文章もアマチュアの方のようで、粗っぽいし上手じゃない。いい意味ではなく、ざわざわさせるものがありました。突拍子もない本で強烈な印象が残ったんですよね。もうタイトルも憶えていないんですが、その後、その女性のイメージがヒントになって生まれたキャラクターが『嫌われ松子の一生』の松子なんです。
――そうだったのですか。では、もしも偶然その本を手にとっていなかったら...。
山田:松子は生まれていなかったし、今の私もいなかったと思います。
――その後、専業作家になったのはいつ頃だったのですか。
山田:デビューして3年ほど経ち、『嫌われ松子の一生』に取り掛かっている時です。書き始めたものの、途中で完全に原稿が止まってしまっていた。仕事の合間に書けるような内容じゃないと気づいたのですが、ちょうど妻が妊娠をしていて、もうすぐ子供が産まれるという時期でもありました。新刊を出していない期間も長くなっていたのでこのままだと忘れ去られてしまう。ここで書かなかったら小説家としておしまい。生き残りたければ会社を辞めてでもこの小説を完成させるしかない。会社をとるか、小説をとるか。だったら、私には小説しかなかった。それで辞めて原稿に集中することにしたんです。
――周囲には、子供が産まれるんだからこそ、会社を辞めないほうが...と言う人もいたのでは...。
山田:そうですよね、その時期に会社を辞めるなんてありえないですよね。でも自分の中に迷いはありませんでした。ここで諦めたら死ぬ時に後悔するのがわかってましたから。実際、会社を辞めていなかったら、あの本を書きあげることはできなかったでしょう。
――そして『嫌われ松子の一生』が大ヒットして、映画化もされて...。本当によかったです(笑)。現在福岡にお住まいですが、その頃に引っ越されたのですか。
山田:妻の実家があるので、会社を辞めた後に越して、妻の両親と一緒に暮らしています。
――一日の生活サイクルは。
山田:5時10分くらいに起きて朝食を作ります。僕の担当なんです。温野菜にトーストにヨーグルトにコーヒー...といったものですが。朝食を終えていろいろすませて、7時半くらいからちょっと離れたところにある仕事場のパソコンに向かいます。まったく進まない時もありますが、書ける時は午前中の10時か11時くらいまで書きます。たいてい午前中だけですね。集中力が続かないので。午後は運動不足の解消のために体を動かしたりしています。あいている時間があれば読書もしますよ。尾籠な話で申し訳ありませんが、難しい本はトイレで読みます(笑)。学術的な内容のものって長く集中しては読めないんですが、そういう時にちょこちょこ読むと、頭に入ってくるんです。
- 『燃えよ剣』
- 司馬 遼太郎
- 文藝春秋
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- 『ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) (新潮文庫)』
- 塩野 七生
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- 『百年法 上』
- 山田 宗樹
- 角川書店(角川グループパブリッシング)
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- 『マキアヴェッリ語録 (新潮文庫)』
- 塩野 七生
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――そういうものなんですか(笑)。学術的な本といいますと、理科学的なものとかでしょうか...。
山田:そうですね、あとは社会学的なことを書いた本も読みます。ノンフィクション系で長いものとか。ボーヴォワールの『老い』などもトイレの中だけで読破した一冊です。
――そういえば、海外小説はその後お読みになっていますか。
山田:先日は『悪霊』を読み返しました。無性に読みたくなることがあるんです。次にどういうものを書こうかと悩んでいる時や、小説とは何かという迷いが出た時には特に。これから書こうとしているものはまだ先が見えないけれど、とりあえず自分の出発点を確認して、そこから仕切り直す、という感じです。
――繰り返し読む作品というのはたくさんあるのですか。
山田:いいなと思ったものは何度も読みます。ドストエフスキーもそうですけれど、司馬遼太郎の『燃えよ剣』も読み返します。『竜馬がゆく』などもありますが、『燃えよ剣』の司馬文体を突き詰めたようなところが大好きなんです。ある種理想の文体ですが、真似すると100%失敗するという(笑)。でも憧れます。それと、ここのところ読み返しているのは塩野七生さんの作品。中でも『ローマ人の物語』は最近いちばん影響を受けた本で、すでに3回読んでいるんですが、読めば読むほど新しい発見がある。死ぬまで読み返したいですね。
――え、文庫で40冊以上になるものを読み返しているのですか! 『ローマ人の物語』は新刊『百年法』の参考文献にも挙げていますよね。
山田:長い話ですから、最初は手を出すのに躊躇もしました。ただ、これから書いていく小説を考えていた時に、この本を読めば何か得られそうな予感がしたんですよね。その頃は文庫が30巻くらいまで出ていたんですが、一気に全部揃えました。もう第一巻から面白くて文章も素晴らしくて、病みつきになりました。文庫化されていない分はハードカバーを買って、文庫化されたらそれも揃えていきました。古代ローマ史というのは人間ドラマに富んでいて、ある種読者をはなさないストーリーテリングの魅力がある。それにノンフィクションだけど堅苦しくない語り口も魅力。その二重の面白さを感じました。僕は決して読むのがはやくはないので全部読むのに時間はかかりましたが、毎日少しずつ楽しく読んでいくうちに、いつのまにか終わっていました。
――それが『百年法』に取り掛かる頃だったのでしょうか。
山田:明確な時期を憶えているわけではないんですが、確かに『百年法』を書かなくちゃと思っていて、糸口を求めていた気持ちがあった頃かもしれません。
――『百年法』の参考文献にはマキアヴェッリの『君主論』も挙げてらっしゃいますよね。
山田:以前マキアヴェッリに興味を持っていたことがあったんです。『マキアヴェッリ語録』などを読んでいたんですが、それも塩野さんがセレクトしたものでした。塩野さんの『わが友 マキアヴェッリ』も面白かった。彼は目的のためなら手段を選ばないという部分ばかりがピックアップされてよく非難されますけれど、いかにマイナスの少ない状態で国を運営していくか、という現実的な考え方なんですよね。『百年法』に登場する遊佐という男の価値観は、マキアヴェッリに通じるところがあります。日本を破滅させないために、「百年法」をなんとしてでも成立させようとする男です。