作家の読書道 第188回:益田ミリさん
日々のささやかな感情を丁寧に、そして鋭く掬いとる作風が魅力のイラストレーターの益田ミリさん。彼女の心を動かすのはどんな本たちなのか? 意外な変遷があって今の職業に就くまで、その時々で背中を押してくれた本たちについても教えてもらいました。
その4「東京でさまざまな作品に出合う」 (4/6)
――イラストレーターになろうと思って、大阪から東京にいらしたんですか。
益田:そうです。その頃に村上春樹さんの『遠い太鼓』という旅行記を読んだのですが、何か背中を押してくれるような感じがありました。きっとそういうものを探しながら読んでいたんだと思います。五木寛之さんの『青春の門』もその頃に読んで、「あ、今だ、私も行ってみよう」と。
――東京に来て、自分の作品ファイルを作って、各出版社に売り込みをしたりとか?
益田:はい。バイトをしながらやっていました。どういうふうに売り込むかはイラストの学校の先生たちの体験談をそのまんま実行しました。出版社に電話をかけて「見てください」って言っていう。そこで苦労することはあまりなかったですね。
――その頃も日記は書いていましたか。
益田:書いていました。この頃は自分の人生について書くことが多かったですね。「私の未来は一体どうなっているのだろう」みたいなことを延々と書いていました。
――東京に来て、新しい生活を満喫する感覚はありましたか。
益田:ありました。本当に楽しかったです。一人暮らしをするのもはじめてだし、イラストレーター友達もできたし。それまでは近所の友達が高校まで一緒で、短大も高校の同級生が一緒だったりしてので、コミュニティが変わらなかったんですね。でも東京で新しい友達とカラオケに行っただけで、今までとは違う選曲に触れるわけです。私、ブルーハーツも知らなかったんです。だからカラオケ画面を見て、「いい歌詞だね、これ、誰の曲なの」と訊いてみんなに失笑されるっていう。
無知なぶん、大人になってからもすごく感動することがあったんです。みんな映画もよく観ているのに、私は小津安二郎も知らない。話題に出たから「私も追いつかないと」と慌てて観て、「すごい!」となりました。こんなにたんたんとした世界があったのか、と。確か『東京物語』だったと思います。衝撃でした。影響を受けた、というとおこがましいですけれど。
――読書では何か発見はありましたか。
益田:東京に来て「大人もこんなに漫画を読むんだ」って思いました(笑)。下北沢のヴィレッジバンガードに行って、これまた衝撃を受けました。「うわー、何、ここ楽しい」って。見たことのない漫画が世の中にこんなにあるなんて。連れてってくれた子が久住昌之さんと久住卓也さんの兄弟ユニット、Q.B.B.の『中学生日記』を買ったので、借りて読みました。四コマ漫画で、中学生男子たちの日記のような学園ドラマが描かれているんですよね。「面白い! 私も描いてみたい」と。久住さんの『中学生日記』に触発され、『OLはえらい』という四コマ漫画を描いたんです。知識もなかったので、素直に「面白い。やりたい。描いてみる」という感じでした。いそっぷ社という、小さな出版社が「いいですね。出版しましょう」と言ってくれて。
――「描いてみよう」と思ってすぐに描けたことがすごいですよ。
益田:その前にイラストと川柳を組み合わせた川柳集を出版していたんですけど、「漫画を描いてみたら」と声をかけてくれる編集者もちらほらいました。「描いたことないし、どうかな」とは思ったんですけれど、「私よりも分かる人たちが言うんだから、やれるのかな」という感じでした。
――川柳集を出したきっかけは何だったんですか。
益田:イラストの売り込みの時に「川柳も書けます」みたいなことを言っていたんです。なんでそんなことを言ったのかよく分からないんですけれど(笑)。コピーライターの学校も行ったし、五七五もコピーのようになら書けるかなと思ったのかもしれません。家で川柳を書き溜め、それを当時3行打ちくらいしかできないワープロで打ってノートに縦書きに貼って、チャンスがあったら誰かに見てもらおうと思って鞄に入れていたんです。それを見た春陽堂書店の編集者が、「うちで」と言ってくれて「あ、マジですか」と。鞄に入れておくのって大事ですね(笑)。
――川柳や短歌の本も読んでいたのですか。
益田:俵万智さんの『サラダ記念日』は読んでいました。こんな短い中ででも感情や情景が書ける世界があるんだなぁと思いました。
――そして川柳の本ができて、漫画も描いてみて...。
益田:まだ漫画を描く前、わたしの川柳集を読んだという編集者に、「あなたはエッセイもむいていると思う」と言われました。「え、そうなの?」と驚きました。「どこか連載してみたいところはあるの」と訊かれたので「『ダ・ヴィンチ』です」って即答したんですよ。創刊されて話題になっていたし、晴れやかなイメージがあって、仕事をするならああいう雑誌がいいと思っていたんです。そうしたら「一回だけチャンスをあげる」と言われ、その時の『ダ・ヴィンチ』の編集長を紹介してもらいました。「電話があることを伝えておくけれど、そこからはあなたが自分で売り込みなさい」と。それで連絡して『ダ・ヴィンチ』に行きました。即答したのがよかったんだと思います。編集長にお会いして川柳集と作品ファイルを見てもらったんですが、その時は「ふーん、分かりました」みたいな感じで。でも家に帰ったらすぐに電話があって、「スペース取りましたよ」と言われて。胸がいっぱいになりました。名刺2枚分くらいのスペースの川柳のコーナーだったんですけれど。すごく嬉しかったです。なんか、思い出したら涙が出てきました(笑)。「『ダ・ヴィンチ』で連載してます」って言うと信頼してもらえるので名刺代わりになって。担当編集になってくれたのは、大学を出たばかりの、背が高くひょろっとした男性編集者でした。その彼が少しずつ連載ページを大きくしてくれ、はじめて目次に名前が載った時は本当に嬉しかったですね。以来、かれこれ20年、ずっと担当してくれてます。今ではガタイのいい編集長です(笑)。