第88回:小川糸さん

作家の読書道 第88回:小川糸さん

昨年デビュー作『食堂かたつむり』が大ベストセラーとなり、大注目された小川糸さん。なんとも穏やかな雰囲気を持つ小川さん、幼い頃から書くことが大好きで、お料理が好きで、作詞家としても活動して…ということから連想するイメージとはまた異なり、作家になるまでの道のりはかなり波瀾万丈だった様子。その時々に読んでいた本と合わせて、その来し方もじっくりと聞かせていただきました。

その6「話題作『食堂かたつむり』、そして新作『喋々喃々』」 (6/6)

食堂かたつむり
『食堂かたつむり』
小川 糸
ポプラ社
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喋々喃々
『喋々喃々』
小川 糸
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――デビュー作にしてベストセラー、『食堂かたつむり』は、どのような思いから生まれたお話なのでしょうか。

小川 : 最初に思ったのは、主人公の女の子がひたすら料理を作る話を書きたいなということ。物語を書きたいと思い始めてからずいぶん時間が経っていて、いろいろ考える時期でもあったんですよね。このままやっていてもダメならもう諦めよう、だったら最後に自分にとって一番身近にある、料理をテーマに書きたいなと思ったんです。

――主人公は失恋し、財産もなくし、声も出なくなってしまう。どん底の状態においたわけですよね。

小川 : 自分自身の状況を考えても、すごくハッピーというわけではなかったので(笑)。

――だからこそ、再生の物語にもなっている。ただ、それだけではなく、かなりつらい現実も直視していますよね。

小川 : 生活をしていると、楽しいことばかりじゃない。人と人がつきあっていると傷つけてしまったりすることも避けて通れない。そういうことから目を逸らさずに、リアルな話を書きたいんです。

――そしてポプラ社小説大賞に応募した本作は、入選は逃したものの、編集者の目にとまって出版されることとなります。大賞の発表の後に連絡があったのですか。

小川 : そうだったと思います。発表の時期を一瞬忘れていたんですが、連絡もないしまあダメだったんだろうな、と思っていた時に連絡をもらったので逆にビックリしました。

――書籍になった時は絵本の時とはまた違う感慨があったのでは。さらにはそれがベストセラーとなって。

小川 : 本当に自分が書きたいと思う作品が形になるのは初めてだったんです。なので本になった時は、よくここまで諦めずに続けてこれたな、っていう...。すごい道のりだったって思いました。本が話題になった時は、こういうこともあるんだ、と他人事のように驚いていました(笑)。

――リストラされた時から思うと、本当によかったなと...(笑)。そして時を同じくして、長編の連載をスタートされたわけですね。それが新作『喋々喃々』。東京の下町の風情を残す谷中が舞台。主人公の栞さんは長屋でアンティークきものお店を開いています。谷中はお好きな町なのですか。

小川 : 住んでいる場所はまったく違うのですが、たまに時間ができると遊びに行ったりしていました。なんとなく雰囲気は分かっていたんです。谷中に流れる空気、季節感がすごく魅力的だなと思っていたんですよね。人もみんな穏やかで落ち着いていて、地に足をつけて生活している感じがあった。

――小川さんも着物を着られるのですか。

小川 : 月に1回くらいは。着付けは本を読みながら自分で学びました。

――独学で! さて、そして今回は恋のお話です。タイトルの『喋々喃々』は「男女がうちとけて小声で楽しげに語り合う様子」という意味なんだそうですね。

小川 : 何年か前にこの言葉を知って、意味を調べていい言葉だなあと思っていたんです。今回お話を書くにあたって、響きも素敵だし、字面もいいなあと思っていたのでタイトルに選びました。

――しかし、しかしですが、出会った時から相手の左手の薬指に指輪が光っていることが分かりますよね。

小川 : 主人公の栞さんも、相手の春一郎さんも、そういう世界から一番遠いところで過ごしていた人だと思うんです。でも、そういう人たちでも人を好きになることがあるし、恋愛って理屈じゃないところがある。私自身はそう思わないようにしようと思っているんですが、こういう設定だと不倫だとかドロドロだというイメージもある。でも本人達の気持ちは純粋なこともあるので、あまり自分の中で決めつけたくないんです。いろんな生き方があるように、いろんな恋愛の形があっていい。人と人が親しくなる時、どういう形であろうと本人たちが心地いいと思える関係であることが、一番いいのかなと思うんです。

野暮な人 イキな人―江戸の美意識「イキ」で現代を読み解く (パンドラ新書)
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――二人の恋だけでなく、下町の人間関係や栞さんの複雑な家族関係、元恋人のことも描かれます。

小川 : 人間関係の背後にはもっといろんな人間関係があるものですから。登場人物たちがそれぞれおせっかいになりすぎず、ほどよい距離感をとって暮らしている、ということが書けたらいいな、と思っていました。

――ところで、日々の執筆や読書のサイクルは決まっていますか。

小川 : 連載をしている頃は、執筆は午前中と決めていました。掃除もしなければいけないしゴミもでるし、業務連絡もあるしで、しなくてはいけないことが結構あるので、読書時間は家事が終わって午後に時間ができたら1時間程度。あとは寝る前ですね。今は資料として読まなくてはいけないものが積み重なっているので、それを読んでいます。『喋々喃々』を書いている時には越川禮子さんという、江戸しぐさの本をたくさん書かれている方の本をよく読みました。新書の『野暮な人イキな人』がすごくよかったです。そういえば、『食堂かたつむり』が出た後に、担当編集者の吉田さんが「たぶんお好きだと思います」といって、『リトル・フォレスト』という漫画を教えてくださったんです。『海獣の子供』の五十嵐大介さんの漫画です。私は基本的に漫画がダメで、これははじめて読んだ漫画でした。

――ま、漫画をはじめて読んだ?

小川 : 絵と文字とどっちを追えばいいのか分からなくなるというか(笑)。でもこれは読めました。東北の村で自給自足をしている若い女性のお話です。

――さて、今後はどのような作品をお考えですか。

小川 : 『喋々喃々』の主人公が着物を着ているので、実際問題として走れなかったんですよね。一歩一歩がすごく小さくて、だからこそその一歩が重い、という話でもあったんです。ですから逆に次は主人公が走っているような作品を描きたいと思っています。

(了)