作家の読書道 第159回:碧野圭さん
ロングセラーとなっている『書店ガール』シリーズが原作のドラマ『戦う!書店ガール』がスタートしたばかりの碧野圭さん。幼稚園の頃から絵本より文字の本を好んで読んでいたという碧野さんが愛読してきた本とは? ライター、編集者としても活躍していた碧野さんが作家になったきっかけとは? 書店にまつわるエピソードももりだくさんの読書道となりました。
その3「東京の書店にショックを受ける」 (3/6)
――大学生になってからは。
碧野:高校時代に引き続き、海外文学と歴史小説、それにミステリ。他には授業のための本が多かったですね。『中世都市成立論』や中世史の論文ばかり集めた本なんかを一生懸命読んでいました。そういうものを読むのは大学に通っているうちだけだろうと思っていたんです。教員養成大学なので卒論を書かなくても卒業できるんですが、やっぱり大学生なんだからと思って卒論も書きました。書いたおかげで調べ方を学びました。国会図書館を利用するにはどうしたらいいかとか、よその大学に行って必要な論文をコピーさせてもらう方法とか。
大学時代で大きかったのは、それまで作文が得意だと思っていたんですけれど、ある授業で論文のレジュメを提出したら「これはレジュメじゃない」って言われたこと。つまり、論文と作文の違いが分かっていなかった。で、「どういうことなんだろう」と一生懸命考えて、論文の書き方みたいな本を片っ端から読んだんです。「起承転結で書け」という本もあったりして、「は?」と思いましたが、澤田昭夫さんの『論文の書き方』と木下是雄さんの『理科系の作文技術』の2冊でようやく、論文と作文の違いみたいなものが分かってきました。それが大学の読書体験としてよかったことですね。会社に入ってからも企画書など理論で説明する文章を書くことは多かったですから。
――碧野さんは学芸大学ご出身ですよね。大学進学で東京にいらしたんですか。
碧野:そうです。共通一次一期生だったんですけれど、二次試験で学芸大学を受けたんです。二次試験、すごく簡単だったので舐めてかかっていたら時間が足りなくなって、「落ちた」と思いました。落ちたけれどせっかく東京に来たんだから本屋に行くことにしたんです。『だっくす』という漫画情報誌で萩尾望都の原画展をやっているとあったので行ったお店が、池袋のリブロでした。すっごくショックを受けました。図書館でしか見たことがない本が、本当に売っているというのが驚きだったんです。「名古屋だって都会だし」と思っていたけれど、やっぱり文化度は全然敵わないなと思いました。だから私にとっては、池袋のリブロは特別な本屋だったりするんです。あそこが閉店してしまうことに納得していない人は私だけではないですよね。神戸の海文堂の閉店もそうでしたけれど、書店の歴史とか「本にまつわる物語」をもっと大事に、逆にそれを売りにしていくくらいの戦略を持ってほしいなと思います。
――さきほど卒論が「マキャベリと演劇」だったとおしゃっていましたが、面白いテーマですね。
碧野:塩野七生さんが、『わが友マキャヴェッリ』という本や、マキャベリの『君主論』のモデルになったチェーザレ・ボルジアの本を書いていらしたので、マキャベリに関心はあったんです。でも政治論的なものは面白くないし、関連書もいっぱい出ているので書く気がしなくて。マキャベリは干されていた時期に、手すさびに「マンドラゴラ」などの演劇も書いていたので、その感想文みたいなものを書きました。教授にも「テーマとしては面白い」と言われましたけれど。「マンドラゴラ」は無名塾も演じたりして有名な戯曲ですが、それ以外の戯曲はあまり翻訳はされていないですね。うまいかと言われると、決してうまくない。「マンドラゴラ」もひどい話で(笑)、名家の貞淑な奥さんを好きになった若者が彼女をものにするために、マンドラゴラという植物から作った薬を使って一芝居を打つという。策略で目的を達するという、いかにもルネサンス人の実利を取る、という話でした。
――卒業後はどうされたのですか。
碧野:わりとすぐにフリーのライターというか、データ原稿の作成などの仕事をはじめました。学生時代に『ぴあ』でバイトをしていたこともあり出版関係に行きたかったんですが、男女雇用均等法以前の時代でなかなか仕事がなくて。でもフリーなら仕事があったんです。友達が『アングル』という情報誌にコネがあったので、そこの映画紹介コーナーのデータ原稿作成から始めて、それができるようになると「はみだし三行記事を書いてみないか」と言われ、その後ようやく「特集をやらないか」と言われて。「質より量」で仕事をしていたので、本を読む時間がなくなってしまいました。
その後、アニメ雑誌それから後にはライトノベルの編集をやっていたんですが、あつかうものがフィクションなので、趣味で読む本は自然とノンフィクションになりました。本多勝一さんの『日本語の作文技術』はライターとして影響を受けました。もう「作文の本はこれだけ読んでいればいい」と思いましたね。ほかには沢木耕太郎さんや立花隆さんとか。向田邦子さんも大好きで、全著書や関連本も集めていました。岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』は、物事すべて絶対的なものはないんだよ、という考え方に影響を受けました。とくに印象的だったのは近藤紘一さんの『サイゴンから来た妻と娘』シリーズ最終巻『パリへ行った妻と娘』。近藤さんは新聞記者をやっていらした方で、『サイゴンから来た妻と娘』は大宅壮一ノンフィクション賞を獲った本。ベトナム人の奥さんと結婚して感じた、日本人との文化の違いなどを軽妙に書いてあるんです。そのシリーズが2冊出て、最後が『パリへ行った妻と娘』なんですが、これを書いた時近藤さんは癌を患っていて、死期を意識されていたのでしょうね。そこにきてはじめて「なぜベトナム人の奥さんをもらったか」という、ネタばらし的なことをしているんです。近藤さんの最初の奥さんのことが書かれてあって。そのネタばらしを読んで「ああ、これはもう文学だ」と思いました。本当に大好きな本です。
その頃に橋本治さんの『青空人生相談所』も読みましたが、これは名著。怖いくらいに頭のいい人だなあ、と。雑誌に連載されていたものなんですけれど、ある女の人から「妊娠中に風疹になってしまったんですが、どうしたらよいでしょう」という相談がきたら、橋本治は「あなたの相談にはひとつ欠けている。"私は障害児なんて嫌です"。生むの?生まないの?困っているのは医者の方だよ。早く決めなさい」と、ズバッと書いちゃうんです。かと思うと、本当に悩んでいる人には優しい言葉をかけていて、泣いてしまうような回答もあって。相談の文章からこれだけ読み取ることができるのかって思いました。昨年橋本さんの『恋愛論』が復刊された時にトークイベントを見に行ったら、やっぱり来た人たちが『青空人生相談所』の同じところで反応していましたね。
――読んでみたいです。ぜひそれも復刊してほしいですね。