作家の読書道 第170回:木内昇さん
移ろいゆく時代のなかで生きる個々人の姿をと細やかに描きだし、深い余韻を与える作品を発表している木内昇さん。2011年には『漂砂のうたう』で直木賞、2014年には『櫛挽道守』で中央公論文芸賞、柴田錬三郎賞、親鸞賞を受賞。誰もが認める実力の持ち主は、少女時代はスポーツ三昧、編集者時代もまったく作家を志望していなかったのだとか。では、どんな本に導かれ、どのような経緯でこの道に進むことになったのでしょう?
その6「好きな現代作家&小説執筆のきっかけ」 (6/8)
――そういう生活を送っている頃、本を読む時間はありましたか。
木内:その頃には新刊も買える経済状況になっていたので結構買っていました。小川洋子さんは『密やかな結晶』はじめ、描かれる喪失感のようなものがとても好きなんです。最近では『ことり』にガーンとなりました。身につまされたというか。小説の舞台作りも素晴らしいですよね。主人公の癖から食べ物の好みから、家の造形から何から、細部まで血が通っている。小川さんに作品の中の場所について「あそこの道を曲るとどうなりますか」と伺ったら、きっと全部お答えくださるんじゃないかと思うくらい。虚構の世界であるはずなのに、嘘っぽさが皆無なんです。かつ、寓話的な世界を見せてくれるんだけれども、きれいな話にまとめずに、怖いものや鋭いものがいっぱい潜んでいるのも魅力です。ちょっと他人事とは思えないところもあって、読んでいてグサグサきてしまう。記憶みたいなものの捉え方も好きですね。小川さんは登場人物が生きていく過程で、記憶も変容させるんですよ、微妙に。どうやったらあんな風に書けるんだろう、っていつも思ってしまう。
古井由吉さんはとにかくもう、はじめに読んだ『杳子』が衝撃でした。私が言うのも恐れ多くて申し訳ないんですけれど、古井さんはずーっと常に次、次、次と段階を上がっていってらして、それを何十年も続けておられることが恐ろしいと思います。一般的によくデビュー作にすべてが詰まっている、と言われますが、確かに初期衝動を越えるものを書くということは難しいことなのかもしれません。続けているうちに慣れも出てくるし、技術で書けてしまうところもあると思うんです。でも古井さんは原初的な部分をたぶん、まだ心の中にお持ちで、それを「越えていこう」という挑戦が続いているような気がするんです。その姿勢がすごいな、と。全部、私の勝手な想像なのですが(笑)。短篇集の『やすらい花』の中の「生垣の女たち」とかが好きですね。文章に独特の湿度や、生きるということの確かさと儚さがあって、そして人々に色気がある。『辻』も好きです。
出版社に入ってすぐの頃は、伊集院静さんの小説を愛読していました。堀江敏幸さんや町田康さんもよく読んでいました。あ、そうだ、中上健次も大好きです。
――秋幸の三部作とかですか。
木内:そうです、三部作は特に『枯木灘』が好きでした。中上健次の描く男の像が色っぽくて大好きなんです。ただあの凄まじい文体を読むと自分のなかに残ってなかなか離れなくなってしまうので、自分が書く時は絶対に読まないようにしています。中上健次は、それくらい強い文体を獲得したということなんですよね。
――ご自身で小説をお書きになるきっかけは、人から「書かないか」と言われたからだそうですね。それまで小説を書こうと思ったことはなかったのでしょうか。
木内:なかったですね。世の中に訴えたいこともなかったし、それなりに楽しくやっていたから不満もないし、「小説を書きたい」と思わなかった。新人賞に応募したこともないし、応募しようと考えたこともなかったです。
――それがどうして書くことにしたのでしょう。
木内:はじめは「新選組の京都ガイドブックを出しましょう」と言われたんです。それで「じゃあサイドストーリーを書きましょう」と書いたら小説みたいになってしまって。それが『新選組 幕末の青嵐』なんです。その時点で、全然ガイドブックじゃなくなってしまったんだけど、編集の人が頑張って通してくれたんです。それからもう1冊、河出書房新社から『地虫鳴く』という、やはり新選組の本を出しました。その2冊を出した時点で、小説を書くのも、自分の好きなものを紐解いていく時間も楽しいとは思ったけれど、普通のインタビュー仕事も好きだったので「たまに小説を書く機会があればいいのかな」くらいにのんびりと構えていました。
でも知り合いの編集者が「面白いから短篇を書いたら」と場を与えてくれて、それで『茗荷谷の猫』の原型みたいな掌編を書き始めたんです。
――そしてその短篇集『茗荷谷の猫』が大変な話題となります。
木内:話題というほどでもなかったけれど、結構取り上げていただいて。平凡社の営業さんがすごく一生懸命やってくれたこともあって。その時に文芸の編集さんが声をかけに来てくれたんです。2008年の秋の終わりくらいの頃ですけれど、そこではじめて文芸の世界に入ったような具合です。
――2004年に『新選組 幕末の青嵐』を出してから4年後に、ようやく。それにしても、「書いてみないか」と言われて書けるものなんでしょうか、小説は。
木内:いまだに『幕末の青嵐』は小説という感じが自分の中ではあまりしません。小説作法的な本も読んだことはなかったですし。以前は、実在した新選組の人たちを私が創作で歪ませちゃっていいのかなという戸惑いもありました。
――お書きになる小説の舞台が、江戸、幕末から明治期、昭和前半くらいが多いと思うんですが、それは自然とそうなったのですか。
木内:そうですね。時代の変遷期を取り上げたい気持ちはありますね。幕末は日本の青春期じゃないですけれど、黒船来航という外圧があったにせよ、自分たちの力で内部変革を起こしたいという時期だったので、その面白さ、魅力があったと思うんです。いずれはもっと前の時代を書くかもしれませんが。私自身それほど冊数を出していなくて、まだ初期なので、ゆっくり考えていきたいな、と。ただ、のんびりしすぎているみたいで、もうちょっとどんどん書いていったほうがいい、とよくアドバイスされるのですが。