第175回:野中柊さん

作家の読書道 第175回:野中柊さん

アメリカ在住の頃に作家デビュー、その後は小説だけでなく翻訳や童話でも活躍をみせる野中柊さん。国内外の小説を読み、映画好きでもある野中さんにとって、何度も読み返したくなるような本とは? デビューの経緯や執筆の思いもあわせてうかがっています。

その5「海外小説が好き」 (5/6)

  • 夜が来ると
  • 『夜が来ると』
    フィオナ マクファーレン,Fiona McFarlane
    早川書房
    2,376円(税込)
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  • ともだちは海のにおい (きみとぼくの本)
  • 『ともだちは海のにおい (きみとぼくの本)』
    工藤 直子
    理論社
    1,296円(税込)
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  • エル・スール
  • 『エル・スール』
    アデライダ ガルシア=モラレス
    インスクリプト
    1,944円(税込)
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  • コレラの時代の愛
  • 『コレラの時代の愛』
    ガブリエル・ガルシア=マルケス
    新潮社
    3,240円(税込)
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――そこから読書生活に変化はありましたか。

野中:読書傾向が変わったということは、特になかったと思います。ただ、今みたいにインターネットが発達していなかったので、アメリカにいるってことは、離れ小島で暮らしているようなものだったの。コーネル大学はアジア研究が盛んだから、図書館に日本語の本もたくさん置いてあったけれど、全集に入っているような作品や、ちょっと古い作品ばかりで、新作を手にすることは望めなかった。新聞にしても、1ヶ月くらい前のものをありがたがって読んでいました。1ヶ月前のテレビ欄ですら読んでいて楽しかったの。それほど日本語が読みたくて読みたくてたまらなかった。だから、作家デビューして、文芸誌を送っていただけるようになったのが、ほんとうに嬉しかった! 

――その後、どんな本がお好きだったのでしょうか。

野中:翻訳小説は、ずっと好きですね。訳文の味わいも含めて、楽しんでいる感じ。そういえば、こんなこともありました。わたしのデビュー作『ヨモギ・アイス』について、柴田元幸さんが書評を書いてくださったので大感激して、お礼状を書いたら、なんとお返事をいただいたんです。帰国して、逗子で暮らしはじめたタイミングだったから、「よかったら、うちへ遊びにいらしてください。美味しいごはんでおもてなしをします」と手紙を書いたら、「美味しいごはん、いいですね」と奥様とご一緒にいらしてくださったの。その後、柴田さんの東大の授業に呼んでいただいて、学生さんたちに自作のことやアメリカでの生活について話したのですが、その日の午後の、柴田さんのゼミにも誘っていただいたので参加してみたら、ひとつがアメリカの短篇小説のゼミで、もうひとつがピンチョンのゼミで、どちらも、すごく面白くて! 半年間、ゼミに通いました。あれ? でも、ピンチョンのゼミは途中で脱落したかもしれない。ハードルが高いんだもの。短篇小説のほうは、ちゃんと最後まで参加しました。岸本佐知子さんや都甲幸治くんもいらして、すごく楽しかったし、ほんとうに勉強になりました。そのゼミで、当時はまだ日本で紹介されていなかったレベッカ・ブラウンの短篇を読んだんです。あまりに素晴らしいから、びっくりしてしまって。その頃、わたしはジャネット・ウィンターソンの小説を講談社に依頼されて翻訳している最中で、柴田さんのご厚意で訳文をチェックしていただいていたんですが、「レベッカ・ブラウンの作品を、わたし、訳してもいいですか」と伺ったら、柴田さんから「どんどんやりなさい」とおっしゃっていただいて。伊藤桂司さんと一緒にビジュアルブックとして、短篇なのに分厚い本を出したことがあります。桂司さんが素敵なイラストをたくさん描きおろして、アートディレクションも引き受けてくださって、銀色の装丁のエッジの効いた、ほんとうにかっこいい本だったんです。でも、刊行後1か月くらいで、出版社が倒産してしまったので、「幻の本」みたいになっているんですけれど。

――へえ。『お馬鹿さんなふたり』という本ですか。レベッカ・ブラウンは『体の贈り物』で日本でも注目されましたが、その前に出されていたんですね。

野中:そうなんですよ。もちろん柴田さんから教えていただかなかったら、レベッカ・ブラウンという作家の存在を知ることもなかっただろうし、ましてや、わたしが彼女の作品を訳すこともなかったでしょうから、柴田さんには、ほんとうに感謝しています。あのゼミで学んだことも、わたしの一生の宝物だと思っています。

――翻訳ものが中心の読書生活ですか。

野中:ことに、ここ数年は、翻訳小説ばかり読んでいるような気がしますね。心惹かれてならないのは、アリス・マンロー、リュドミラ・ウリツカヤ、ジュンパ・ラヒリ......

――新潮クレストブックスの作品ばかりですね。

野中:クレストブックスのラインナップって、いいですよね。ほかにも好きな作品がたくさんあります。マンロー、ウリツカヤ、ラヒリについては、地に足のついた骨太のリアリズム小説を書く女性作家という共通項があるように思います。わたしの作品は浮遊感があると言われることが多いし、わたしはわたし自身の資質を活かした作品を模索して書き続けていくことがたいせつだと思っているんですが、自分とはまったく違う作風だからこそ、いっそう心惹かれるってことはありますよね。彼女たちの小説を読んでいると、人生のなんたるかを教えてもらっている気がします。その厳しさも含めて。厳しさの向こうに、優しさが感じられて。生きることについても、書くことについても、なんて真摯で誠実なんだろう、と思う。
男性作家で好きなのは、カズオ・イシグロ、イアン・マキューアン、アントニオ・タブッキですね。タブッキの『インド夜想曲』が大好きです。ちょっと言葉には尽くせないほど好き。

――読む本はどのようにして選んでいるのですか。

野中:本が好きなお友達や編集者と「最近、なに読んだ?」とか「これ、よかったよ」とか、情報交換をしている感じですね。去年読んだ本では、フィオナ・マクファーレンの『夜が来ると』と、レアード・ハントの『優しい鬼』に心を揺さぶられました。どちらもすごく怖い小説なんですが。
マクファーレンはオーストラリアの1978年生まれの作家。若いのにこんなにも完成度の高いものが書けてしまうなんて、すごいと思った。ストーリーテラーで、文体も端正で、息を詰めるようにして一気読みしました。読みはじめたら本を閉じることができなくなる感じ。次作も、とても楽しみです。
レアード・ハントも、もっと読みたい。『優しい鬼』については、読了してからもう何ヶ月も経っているにもかかわらず、朝起きて、コーヒーを飲もうとお湯を沸かしているときに、この作品についてぼんやり考えていたりするの。

――読むのははやいほうですか。同じ本を何回も読んだりしますか。

野中:どうなんでしょう? 面白い本を読みはじめたら、ほかのことはすべて忘れて、作品に熱中して読み続けるから、わりとはやいかな? ほんとうに好きな作品に出会ったら、何度も読み返すことがたいせつだと思っています。だから、常日頃からまめに本の整理をするよう心がけているの。自分に残された時間について考えるようになった、ということもあるでしょうね。あと何年生きるだろう? 20年? 30年? もっと短い? もっと長い? わからないけれど、その間に読み返すであろう本だけ手元にあればいいと思って。

――これまでのお話に登場していない本で、読み返すであろう本といいますと。

野中:今、ぱっと思い浮かんだのは、工藤直子さんの『ともだちは海のにおい』。最近、読んだんですよ。仕事机のすぐ脇の本棚にずっと置いてあって、当然読んだことがあると思っていたんです。ところが、先日、ふと手にしてページをめくってみたら、あれっ? 読んでなかった。しょっちゅう本の背を目にしていたから、タイトルはもうすっかり、わたしの心に馴染んでいるのに、まさか読んでいなかったとは! さっそく読んでみたら、ほんとうに素晴らしくて。工藤直子さんの作品は、どれもこれも大好きなのですが、『ともだちは海のにおい』は、これから先、何度も読み返すことになるかもしれません。そんな予感がします。
それから、詩が好きなので、谷川俊太郎さんや長田弘さんの詩集を眠る前に手に取って、どこからともなく読むことも多いです。
あと、『エル・スール』もすごく好きな作品だったな。ヴィクトル・エリセ監督の映画もよかったけれど、アデライダ・ガルシア=モラレスの小説も素晴らしいんですよ。実は映画は未完で、小説にはその先がある。あの主人公の少女が南へ旅立って、死んだ父親がかつて愛した女性に会うのですが、マジック・リアリズムのタッチで、とてもせつない読後感。
そうだ、マジック・リアリズムで思い出しましたが、ガルシア=マルケスも大好きです。わたしの中では、なんというか、別格の作家。『コレラの時代の愛』は、それこそ何度も読み返しました。短篇もいいですよね。今まで読んだ恋愛小説のなかでいちばん好きな作品は何? と訊ねられたら、迷いもなく即答すると思う。ガルシア=マルケスの『雪の上に落ちたお前の血の跡』ですって。

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