WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年2月>佐々木康彦の書評
評価:
十二歳「鈴木さえ」の視点で小学校六年生の六月第一日曜日から卒業式の日までを描いた作品。
小学校の時のことなんてほとんど覚えていませんが、読みすすめるほどなつかしい感じが湧いてきました。
特に、教科書の先のページに未来の自分へメッセージを書くエピソードなんて、自分ではやったことがありませんが小学生時代の気持ちを想起させるものがあります。
自分が十二歳の頃、子供ながらにも悩みはありました。それは今みたいにハッキリした悩みではなくて、何だかもやもやとした形のもの。まだまだ大人にはなれないのに、大人に近づいていくことへの焦りみたいなものがあったかなあ、と本書を読んでおぼろげながら思い出していました。
児童文学ということですが、大人が読んでも色々と感じることの出来る小説です。
一応ことわっておきますが、決して僕の精神年齢が低いということではありませんよ。
評価:
お恥ずかしい話、登場人物のうち知っていたのは坂上田村麻呂だけでした。その他の登場人物は伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)、宇漢迷公宇屈波宇(うかんめのきみうくはう)など全く馴染みのない人たち。ふりがながなければ正確には読めません。
しかし、これは手強いぞと思ったのも最初だけ。各キャラクターが個性的ですぐに識別出来、物語にストレスなく入りこめました。
詰め込み過ぎて読者を食傷気味にさせる歴史小説もあるかとは思いますが、本作は必要最低限の説明で人間ドラマを描き、そのドラマを追うことで自然に八世紀の東北情勢が読者の頭に入るので、良い意味で歴史小説を読んでいるという感覚はありませんでした。
ただ、話がい〜ところで終わっているので、とても続きが読みたくなります。先に出版された「まほろばの疾風」は本作とはつながっていないものの時系列的には本作より後を描いた作品とのことなので、それで我慢します。
評価:
本筋とは直接関係ありませんが、物語に微妙に関係してくる永井新と蜂矢圭介というコンビが好い味を出しています。本筋だけを追っていけばシリアスになりがちなところをこのコンビに視点が移るとホっとするのです。
これは作中清水が言う「現実の境界線」を表しているのでしょうか。このコンビもちょっとしたキッカケで「現実ばなれした側」に立つことになるんだという事を主人公の行動と微妙に関わらせることで表現しているのかもしれません。現実の世界でも事件の被害者や加害者は特別な人間ばかりとは限らないのです。
少し細かいことを言うと、登場人物の呼び方が「蜂矢」「蜂矢圭介」「男」「年上の方」などとコロコロ変わるのが気になりました。ある場面では「佐伯直子」と書きながら、二行後では佐伯直子のことを「女」と書いていたりして、ぼ〜っと読んでいると違う人のことかなと思ってしまう。そこが少し読みにくいと感じました。
評価:
「ネッシー捕獲探検隊」「謎の類人猿オリバー君」「ノアの箱舟探索プロジェクト」「家畜人ヤプー」全部知っているのにそれを仕掛けた康芳夫氏のことはあまり知りませんでした。
面白いのは氏が招聘した「アラビア大魔法団」。実は全員ドイツから呼んだ白人で、顔を黒く塗っていたんだそうです。
ヤラセをやるにしても稚拙というか、大胆というか。昭和の匂いがするノスタルジーを感じさせるエピソードで、笑えました。
本書には康芳夫氏の他に画家の石原豪人氏、昨年からなにかと話題の川内康範氏、ダダカンこと超前衛芸術家の糸井貫二氏へのインタビューが収録されていて、どの方も非常に魅力的な人物でした。特に川内康範氏は昨今テレビなどのメディアから伝わってくる怖い感じではなく、情があって寛大で義の人なんです。悪いイメージを持っている人は是非本書を読んで頂きたい。熱涙にむせびます。
評価:
いやぁ、笑った、笑った。
本書は水への恐怖心のため泳げない著者が、水泳教室に通い、泳げるようになるまでの爆笑エッセイ。
水泳と自転車って子供の頃に体で覚えるので、大人になってから覚えるのって難しいのかも知れません。体で覚えるというよりは理屈が必要になるからです。
本書の著者は考えすぎて3歩すすんで2.9歩さがるといった状態。古式泳法をやってみたり、禅の思想を持ち出したり、何故そこまで余計なことを考えるのかと読みながら思って(笑って)いました。
しかし、著者は2.9歩さがっても0.1歩づつ着実に進んでいきます。さがりながらも進むことは後進のために道を踏み固めることにつながり、本書はエッセイというよりは、泳げない大人たちのバイブルと言えるのではないでしょうか。
とかなり褒めましたが、この本を読んだだけでは泳げるようにはなりませんのでご注意を。ただ、笑えることは確かです。
評価:
ブラームスはベートーヴェンの交響曲を前にして「この偉大なる九曲のほかに交響曲が必要なのか」と悩んだそうですが、世の文章家たちは本書を前に「文章読本なんて必要なのか」と煩悶することでしょう。
というのは言い過ぎでしょうか?
本書は文章家たちが「ワシにも言わせろ」「ええい、こっちへ貸してみな」と濫発する文章読本について書かれた「文章読本」読本。文豪の著作であろうが権威ある先生の著者であろうがお構いなしにからかう勇気(?)、主要な参考文献として巻末にあげている文章読本だけでも百冊以上という労力に脱帽です。
これ自体は文章読本ではないのですが、読み通してみるとヘタな文章読本を読むよりも文章を書くことに関しての理解が深まります。目からウロコがボロンボロン落ちました。
どっからどう読んでも名著。小中学校の国語の副読本にしたらどうでしょうか。
評価:
正体がわからないというのはそれ自体怖いものです。ですから、UFOも「UFOは○○星人の乗り物で、○○星人というのは……で、地球人に敵意はなく……」なんて全てが明らかになれば意外と怖くないのかも知れません。
本作で主人公たちに襲いかかって来る幽霊は冒頭から正体がわかっていますし、襲ってくる理由もほぼ明らか、生前のことはネットで検索可能、という丸裸状態。色々と超常現象は起こすものの、トラックに乗って追ってきたりするストーカー的なノリで、幽霊的な怖さはあまりないように思います。
それよりも文庫本600ページ以上を飽きさせない展開の仕方が絶妙で、前半の何気ない一コマが後半の重要な部分に関係している無駄のなさにも驚きました。
主人公たちが旅を通じて本来の自分を取り戻し、絆を深めていく内容も素直に感動出来、読了後は今さらながらこう思いました。やっぱ、最後は愛だね、愛。
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