WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年2月>『荒蝦夷』 熊谷達也 (著)
評価:
巌流島を例に挙げるまでもないが、戦いは、相手を先に見切った方が勝つ。
「面白い若者ですね。あらゆるものがふたつに割れ、あの者の内で刃を交えている。」
こう評されたのは、奈良時代、蝦夷反乱軍のリーダーとして大和朝廷と対峙する阿弖流為。
評したのは大和朝廷側の征夷大将軍、坂上田村麻呂。だが、初対面にして、田村麻呂は阿弖流為を見切っている。後に激闘を繰り広げることになる二人の、いや、大和朝廷と蝦夷の勝敗は、もうこの時に決まっていたのだ。
しかし彼等は、本書の中ではまだ総大将ではない。朝廷と蝦夷が危うい均衡を保っていたこの頃に、勝敗の行方を握っていたのは別の男だ。阿弖流為の父、呰麻呂である。
彼は、端正で線の細い阿弖流為に比べて、風貌も生き方もワイルド。
禄を与える者の支配を受けながら、自らの誇りを持ち続け、部下達には慕われる。
「秩序や情実にとらわれず、自由に、思うままに生きたい。」
そんな願いを抱く現代の囚われびとたちよ、いざ、共に戦いの場に赴かん。
評価:
お恥ずかしい話、登場人物のうち知っていたのは坂上田村麻呂だけでした。その他の登場人物は伊治公呰麻呂(これはりのきみあざまろ)、宇漢迷公宇屈波宇(うかんめのきみうくはう)など全く馴染みのない人たち。ふりがながなければ正確には読めません。
しかし、これは手強いぞと思ったのも最初だけ。各キャラクターが個性的ですぐに識別出来、物語にストレスなく入りこめました。
詰め込み過ぎて読者を食傷気味にさせる歴史小説もあるかとは思いますが、本作は必要最低限の説明で人間ドラマを描き、そのドラマを追うことで自然に八世紀の東北情勢が読者の頭に入るので、良い意味で歴史小説を読んでいるという感覚はありませんでした。
ただ、話がい〜ところで終わっているので、とても続きが読みたくなります。先に出版された「まほろばの疾風」は本作とはつながっていないものの時系列的には本作より後を描いた作品とのことなので、それで我慢します。
評価:
熊谷氏の「邂逅の森」を読んだとき、東北地方のマタギという職業の血生臭い生命の力強さを感じて、今までみたことのない土着の世界に驚かされました。そして、この「荒蝦夷」でも同じく東北。歴史から黙殺されてきた古代陸奥国と大和との勢力争いが舞台で、今度は欲望丸出しの荒々しさにぶち抜かれてしまいました。
見所は荒蝦夷のひとり、呰麻呂の生き様です。大和に帰属しつつも虎視眈々と隙をねらい、本心がまったく読めない。荒々しいというより野蛮で、背筋が凍るような狂気を持ち合わせている男。例え、残虐卑劣な行為を見せ付けられようとも目が離せないのです。
無口でおとなしいという東北人のイメージがガラリと変わりました。こういう世界もあったのかと見直し注目させる作品です。
評価:
新しい発見である。東北の自然と、それに対峙する力強い男たちを描かせれば右に出るものはいないであろう熊谷達也は、歴史小説にジャンルを移してもその圧倒的な筆致を活かしてこんなに魅力的な物語を描くのだ!
生き抜くためには肉親の情すら捨てる……時に残酷ですらある力強さで大和朝廷の支配に立ちはだかる古代東北の荒蝦夷、呰麻呂の雄々しい姿は、熊谷達也の作品のシンボルでもあるマタギの姿にどこか重なる。それに加えて、史実としての面白さや割拠する族長同士の人間臭い駆け引きなど、期待を上回る面白さである。
それにしても、熊谷作品に登場する、泥臭いけれど精神的なたくましさを持った人間たちがやけにまぶしく見えるのはなぜだろう。熊谷版歴史小説をもっと読みたいと思った。
評価:
荻原規子著「薄紅天女」が大好きな私。同じく8世紀の東北地方、蝦夷の地が舞台。アテルイとモレと坂上田村麻呂…と登場人物一覧でその名前を聞いただけで胸がどきどき。普段歴史小説は読まないけど、どんなロマンが待っているんでしょう……
と、その期待は見事に裏切られました。
物語は阿弖流為の父である呰麻呂を中心に回る。カリスマ性と頭脳、力を持って民をぐいぐい引っ張っていく……のかと思いきや、各章ごとに時に卑劣に、時に残虐に、周囲の人間や他部族の人たちを掻き回していく。なにより「蝦夷の英雄」として感情移入をしようとする自分を裏切られる。
呰麻呂の片腕、敵対する人物、傍観を決め込む人物と章ごとに様々に視点が変わったせいでもある。
だけどかっこよくて誰にでも慕われていて正義の味方だけが英雄ではないよな、と実感。同じ作者が書いた阿弖流為が主人公だという『まほろばの疾風』も読んでみたい。
WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年2月>『荒蝦夷』 熊谷達也 (著)