WEB本の雑誌>今月の新刊採点>【文庫本班】2008年2月>福井雅子の書評
評価:
インパクトはないけれど、十二歳だったあのころの気持ちがよみがえり、なんともなつかしい気持ちにさせられる本である。大人になってから十二歳の自分を思い出そうとすると、「責任も義務もしがらみも、わずらわしいことはなにもなかったし、可能性に満ちあふれていて……戻れるものなら戻りたい」とかなんとか考えてしまいそうだけれど、十二歳の心には十二歳なりの悩みや不安がいっぱいあったはず。そんな「あのころの気持ち」を丁寧にリアルに描き、空の色や光のまぶしさ、風の感触など、あのころの感覚を読者の心によみがえらせてくれる作品なのだ。思い出したくないようないやな思い出がある人以外は読後にすがすがしい気持ちになれそうだ。
子供から大人に一歩踏み出そうとする十二歳の心を、大きな事件が起きるわけでもない日常の生活のなかに描けるだけの文章力と表現力も見どころ。作品の性格上仕方ない面もあるが、読後の印象が薄いのがちょっと残念ではある。
評価:
新しい発見である。東北の自然と、それに対峙する力強い男たちを描かせれば右に出るものはいないであろう熊谷達也は、歴史小説にジャンルを移してもその圧倒的な筆致を活かしてこんなに魅力的な物語を描くのだ!
生き抜くためには肉親の情すら捨てる……時に残酷ですらある力強さで大和朝廷の支配に立ちはだかる古代東北の荒蝦夷、呰麻呂の雄々しい姿は、熊谷達也の作品のシンボルでもあるマタギの姿にどこか重なる。それに加えて、史実としての面白さや割拠する族長同士の人間臭い駆け引きなど、期待を上回る面白さである。
それにしても、熊谷作品に登場する、泥臭いけれど精神的なたくましさを持った人間たちがやけにまぶしく見えるのはなぜだろう。熊谷版歴史小説をもっと読みたいと思った。
評価:
実にハードボイルドらしいハードボイルド。あえてハードボイルドの王道を狙って書いたからなのか、若かった佐藤正午の気負いによるものか、硬さが前面に出た文章でありストーリーである。それがかえって新鮮で、20年以上の時間経過を感じさせる「味」となっているのだが、最近の佐藤正午の成熟した表現力を知っている読者にはやはりちょっと物足りないか。
怒りを忘れないために行動を起こす少年と、過去を忘れるために少年を追う男──という構図はわかりやすいが、その構図が見えてくるまでの前半部分がややもたついていて、なかなか作品の世界に入り込めなかった。昨年『5』で、人物の雰囲気をなんとうまく表現する作家なんだろうとため息が出たのだが、そこにつながる才能の片鱗は所々に見えるものの、期待度が高いためにどうしても採点が辛くなってしまう。星3.5個!
評価:
素材自体がすでに面白いので採点が難しい作品である。ライターである著者が、四人の戦後サブカルチャーにおける「伝説の大物」たちに行ったインタビューを中心にまとめた「戦後サブカルチャー偉人伝」なのだが、登場する分野も活動もまるで接点がないながらも、四人はそろいもそろって世間の常識をはるかに飛び越えた破天荒な面々――まさに「箆棒な人々」なのである。
あまりのハチャメチャぶりを読むだけでも十分に面白いのだが、丁寧なインタビューと、その人物がまとったオーラのようなものまで伝える著者の筆力をもって、四人のどこがタダモノではないのかに斬りこんだところを高く評価したい。この手の人々に対する取材では、とかく奇行ばかりをクローズアップして奇人変人にまつりあげようとしがちだが、この本ではむしろ彼らの人間らしいふつうの一面に迫ろうとする姿勢もみられ、ノンフィクション作品として好感がもてる。
評価:
これは笑える。そうなのだ。生まれつき運動神経のいい人というのは、人に物を習うときに耳から入った情報が頭を素通りしてそのまま体を動かす筋肉に届くらしい。ところが私を含めた運動神経のあまりよくない人は、耳から入った指示がなぜか頭で一回止まってしまう。右、左、左……手をこのくらい曲げて……ええと、このくらいかな……足は……などと考え始めたらもうおしまいである。頭で考えるなと言われると、ますますわけがわからなくなる。運動神経のいい人にはわからないであろうこの感覚が「わかる!」という人は、(たとえ泳げても)この本に共感できるはず。
極度のカナヅチである著者が、コーチの名言(迷言?)だらけのアドバイスに右往左往しながら泳げるようになるまでの苦闘の2年間を描いた作品なのだが、名言過ぎるコーチのアドバイスを言語感覚の鋭すぎる著者の頭がひねくりまわす様は爆笑もの。一緒に指導を受ける主婦の方々が、これまたいい味を出している。泳げる人も泳げない人も、素直に笑える楽しい本である。
評価:
いやはや……なんとも威勢のいい本である。谷崎潤一郎をはじめ『文章読本』をお書きになった権威ある文士たちをばっさり斬り捨て、『文章読本』の矛盾は突くわ、その裏にある差別意識だの虚栄心だのを暴きだすわ、果ては戦後の作文教育をメッタ斬り。たとえて言うなら「王様は裸だ!」と大声で叫んでいるような本である。
その勇気もさることながら、もうひとつ驚かされるのが、読者を納得させる説明手腕だ。論理展開は実に明瞭で、幾多の『文章読本』から論拠となる部分を次々と引用して理路整然と説明が述べられ、読者はうなずきながら読み進むうちにすっかり納得してしまう。
ひとつだけ難点をあげるとすれば、これだけ大胆な持論を展開したのだから最後には読者をうならせるすごい結論が待っているのか? と期待すると、案外平凡な結論であっさり終わってしまうことだろう。けれども、この本はもともと結論が目的ではなく、『文章読本』なるものに野次をとばすための本なのだ。手の込んだ大掛かりな野次を楽しむための本だと割り切れば、なかなか愉快な本である。
評価:
幽霊……に見せかけた殺人事件かなと思いながら読み始めたが、なんと復讐に燃える本物の幽霊が襲ってくるという、とても怖い話であった。それでもホラーは苦手な私が途中で投げ出さずに読めたのは、心理描写の巧みさに惹かれたせいかもしれない。
復讐を遂げようと襲いかかる怨霊から逃れ、真相を確かめるべく昔の女の故郷へと向かう主人公とその愛人は、それぞれ心の奥底に閉じ込めてきた自分の過去と向き合い乗り越えようとする。その過程の心の揺れが新人とは思えない巧みな描写で描かれてゆく。また、現実と幻想と過去の記憶を織り交ぜながら話を進める技術も上手い。何度も懲りずに襲ってくる幽霊には途中でややうんざりしたが、次の作品も読みたいと思わせるだけの魅力がある作品だと思う。
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