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仲田 卓央の<<書評>> |
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青空の方法
【朝日新聞社】
宮沢章夫
本体 1,300円
2001/10
ISBN-4022576405 |
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評価:A
人を笑わせるということは、たいそう難しいことである。奇抜な動きをする、突如奇声を発する、などという単純なことで笑う人もいることはいるのだが、そういう人々は笑いたくてしょうがない、あるいは、さあ、俺は今ここで笑うぞ! と頬っぺたをすでに弛ませている人々であることが多い。ところが大半の人はそうではなく、読書中の人はなおさらである。活字を追ううちに眉間の皺はますます深くなり、長時間同じ姿勢を保ち続けた肩と腰にはすでに異様な力がこもっている。笑うなどという行為とは、程遠い状態である。笑う側にもそれなりの準備というものが必要なのである。その準備を余裕と呼ぶ人もいる。今ここで笑いという行為のそのものについて確認する必要はない。ここで言うべきはいつでも笑える余裕を持つという重要性についてである。私は今後、折に触れて本書を開くことだろう。そして、毎日の体温や血圧を計るように、自分に笑える余裕があるかどうかを確かめることだろう。その光景が、多少不気味なことは承知の上だが、私はやる。 |
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ささら さや
【幻冬舎】
加納朋子
本体 1,600円
2001/10
ISBN-4344001168 |
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評価:A
「泣けるもの」が嫌いである。「泣ける」と評判の作品をよくよく見てみると、小説家や脚本家の「ここらをもう一押しすれば、もっと泣けるぞ」というようなあざとさが透けて見える。泣ける、のではなく泣かされている状態。それで泣かされるのは、非常に悔しいそんなわけで「泣けるもの」には、特に警戒している私なのだが、この作品にはやられた。全体の空気が物凄く良いのだ。それは例えば、しっかりとした造形の脇役であったり、「ささらさや」という奇妙な音の響きであったりするのだが、そこから漂ってくるものが、ふとこちらの気を緩ませてしまう。言ってしまえば、甘ったるくてぬるい話である。しかしたまにはこういう「花も実もある絵空事」も良いと思うのだ。 |
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坊ちゃん忍者幕末見聞録
【中央公論新社】
奥泉光
本体 1,800円
2001/10
ISBN-4120031977 |
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評価:B
この作品には端整、あるいは上品という言葉が似合う。育ちの良さ、とも言うべきものが全編に滲み出ているのだ。舞台は幕末。主人公松吉は忍者の末裔。そういう舞台が揃えば少なからずゴタつきそうなモノであるのだが、本筋は決して大外れしない。あくまで礼儀正しく進行していくのだ。それに加えて脇役の造形の素晴らしさも見逃せない。出てくる人物はセコイ男や貧相な男で、そもそも松吉自体なんとなく主体性がないというか覇気に乏しい男なのだが、それでいても十分に魅力的で憎めない男として描かれる。本当にさわやかな読後感しか残らないのである。ほんの少しだけ惜しまれるのは、帯の文言、「夢には必ず手が届く」である。これではセンスに乏しい青春恋愛小説みたいじゃないか。
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パートタイム・パートナー
【光文社】
平安寿子
本体 1,700円
2001/10
ISBN-4334923437 |
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評価:AA
この主人公はアホかい? 28歳にしてはやたらと考えが浅い。全ての出来事を極めて自分に都合よく解釈する身勝手、口が巧いことと、口数が多いことの違いすらわからずに次から次へと出てくるセリフの趣味は最悪だ。そんな男を主人公に据えて、この小説はいったい何をしようとしているのだ! と怒ってみて、はたと気が付いた。この主人公はまさにアホ、この小説は「アホ男小説」なのだ。アホも行くところまで行ってしまえば、立派な芸。この男はその「アホ道」を突き詰めている真っ最中なのだ。だから、死ぬほど前向き。脳内大革命状態である。もうラストの一行なんか、笑うぞ。
こんなに文句を言いつつも、今月一番楽しんだのはこの一冊かもしれないのでした。やたらと前向きなバカって、やっぱり世の中を明るくするよな。 |
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肩ごしの恋人
【マガジンハウス】
唯川恵
本体 1,400円
2001/9
ISBN-4838712987 |
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評価:A
この世知辛い世の中、普通に生きていくことはとても大変なことです。少しでも才能がある人や、自分の足できちんと立とうとしている人にとっては、日々生きていることは、ただそれだけで物凄く辛いことでしょう。そのうえ、人は簡単には変われない。誰の周りにもこの小説に登場するような魅力的な人はいるけれども、それ以上に困った人たちがたくさんいます。現実と物語は絶対に違う。物語のエンドマークのあとには現実のつらい時間が延々と続いていくことは当たり前のことで、軽やかに、さわやかに生きていく、なんて口に出すことも出来ないほどに、現実の生活は重い。でもだからこそ、こういう小説が必要なのだと思います。それは小説や物語が現実のつらさを一瞬でも忘れさせてくれるという理由ではなく、本当に大切なことはなかなか見えづらい、という理由で。 |
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あしたはうんと遠くへいこう
【マガジンハウス】
角田光代
本体 1,400円
2001/9
ISBN-483871324X |
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評価:B
人は気付かないうちに、驚くほど遠くまで来てしまう。考えてもいなかった場所まで来てしまう。そのときになって帰りたくなっても、もう手遅れだ。そして、こんなはずじゃなかったのに、と思いながら、また遠い場所へと向かうのだ。どうせ辿り着いた先でも、こんなはずじゃなかったと思うくせに。馬鹿な人ほどそういうことを繰り返す、という意味で、主人公の泉は馬鹿だ。『パートタイム・パートナー』の主人公の馬鹿さ加減を笑った私は、しかし泉の馬鹿さ加減を笑えない。『パートタイム・パートナー』の主人公の馬鹿は感受性や知性の欠如という「頭が馬鹿」であるのに対して、こちらは「体が馬鹿」なのだ。わかっちゃいるけど、やめられない、という馬鹿。だからつい、衝動にまかせてジャンプしてしまい、柵を飛び越えて戻れなくなる。そして後悔する。そういう行為は馬鹿以外の何物でもないが、そういう行為に魅力を感じる以上、私は彼女を笑えない。 |
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エンプティー・チェア
【文藝春秋】
ジェフリー・ディーヴァー
本体 1,857円
2001/10
ISBN-4163204008 |
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評価:A
面白い! やっぱりエンターテイメントはこうでなくちゃ、いかん。実を言うと私は『ボーン・コレクター』も『コフィン・ダンサー』も読んでないので、最初はちょっとためらったのだ。ほら、シリーズものって途中から読むと、疎外感というか、学校を休んだ次の日というか、とにかく寂しい気持ちになるときってあるでしょう? ところがそんな心配は一切無用。ただ本を開けば映画館のシートに座るように、ジェットコースターに乗るようにあとは楽しむだけ。読み終えるまで全ての日常生活が上の空になる。中学生のころ、試験前だというのに読み始めてしまった小説が面白くて、ついつい勉強なんかそっちのけで朝までかかって読み終えてしまった経験、そんな「物語に振り回される快感」を久しぶりに思い出させてくれる一冊であった。 |
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死者の日
【扶桑社】
ケント・ハリントン
本体 1,524円
2001/8
ISBN-4594032613 |
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評価:A
もう、ギトギトに魅力的な作品である。その魅力はジャンクフードの味や、泥酔しているときの幸福感と同じ物だ。絶対健康に良いはずはないのに、そして絶対後悔するに決まっているのにも関わらず、ビッグマックを3つも食べてしまったり、次の日は早起きしなければいけないのについ何かしらのボトルを空けてしまったときの、あの罪悪感と恍惚感。内臓や手足はどろりと重たいのに、頭蓋骨の内側が物凄い速度で回転しているような快楽。特に後半、主人公カルハーンの熱病が悪化していくと共に加速していくスラップスティック化は最高だ。そこに描かれる狂気の濃度といったら、「狂っているのは俺か、それともこの世界か」というレベルに達している。とかく陰々滅々たるものになりがちなこのテのジャンル、これほどまでに躍動的に、そして色鮮やかに描ける作家の力量は、見事というほかない。
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